ライブハウスという特殊な空間で

出逢った人、全ての人が

起こる事の全てを受け入れて

くれるとは限らないから

もしも、何かやらかして

小さな心のストレスを

お互いに与えていたとしたら

積み重なってゆくのが本当に怖い



アーティストは

もっと怖いはず



それぞれが大人になって

成長していかないといけないです。

こんな事があると困惑します。


お互いに努力する事も諦めていて

挨拶も会釈もできない関係

「心地よい空間」って作れそうになければ

「無難な空間を目指すべきかと思う。




この日はカフェでのフリーライブ

ある人がニアミスを起こしました。

座ってるギターを爪弾くので

アーティストとの距離は近いのですが

一番近くで聞いていた人の

前に立ちふさがってしまい

後ろの人の楯になってる事に

気付いていないのでした。



音が聴けてればいい私は

気にならないのだけど

被害の子は、何が起こったか

戸惑いながら、突然

起こった現実はというと

完全にアーティストが

見えなくなっていたのです。

人によっては偶然かなぁって

気にならないかもしれないけれど、

最初は、離れていたけれど、

2m程の近く後ろで立って聞ける所まで

移動してきました。

そのうちに座ってる人の真横まで

来てたまでは良かったけど

さらにアーティストと数十センチの

距離まで一歩進み、大きな身体で

塞ぐように立ちはだかる程の異常さでした。

どうみても不自然に身体をねじって

背中で遮ってました。

わざとらしく割り込んできたと思えました。

本人はわざとじゃないと言っていると言います。

通用しない程の不自然さで

アーティストから注意を受けても、

本人に謝らずに、

最後まで居座ってたけど、

気付いたら消えていました。

もしも  わざとじゃないと言ってるなら、

注意欠陥障害という類いの病気なので

責めたり、裁いたりせずにサポートを

お願いして、理解を求めた方が

良いかも知れないくらいです。

その場合がまた、起こってしまうのですが、

自分も含めて、また起こりそうなので

裁かず解決したいから思った事を

記録しておきます。



自分が位置を移動する場合は

    細心の注意をして、確認し合おうね

   「前が見えますか?」っていう一言の気遣い

本当は普段の挨拶ってやっぱり大事な事だと思う。

言いにくい事も言ってあげられる

関係のギリギリのような気がする。

お節介と言われようと、うざいと思われようと

正しい道に反れるのを見てみぬ振りができますか?




「あの➰✨被ってますよ」っていう一言の勇気

次に失敗しない為の相手への思いやりです。

今回はドジなら笑って、いい合えたのだけど…...

それができない相手ではないと思いたいのだけど…...

とてもわざとらしく見えたので、

通告する羽目になり残念です。

そして  わざとという印象を誰もに対しても持たれて

「挨拶さえしなくていい人」印籠のレッテルを

残念にも貼られてしまわれました

そんな解決で本当に良いのだろうか?



例えば、それまでにもよく会ってる人だから、

「こんにちは、今日はお互いに楽しみましょうね。」

そんなたわいもない挨拶さえできてれば良かった訳です。

けれど、挨拶返してくれなくなって、こちらも

だんだんやらなくなってゆく。

そして、挨拶しようとしたら  

そそくさ逃げてゆく事もありました。

別の友達はこそこそされたと言います。

挨拶したら、ベタベタくっついてくるときも

困惑しましたが、挨拶さえ返せないと大丈夫ですか?

って聞きたくなります。

そんな時にやっぱり  私もたまには

顔に困った顔をしてると思います。

決して睨んではいないのですよ。

避けているのではなくて、彼女のペースでの

応援でいいから、テリトリーを犯さないように

細心の注意で遠慮して離れて無関心

やっていこうと思ってました。

ところが聞こえてくる事は、

あろうことか アーティストに対して

「みんなが私を避けている。仲良くしてくれない」

と言ってるのが聞こえてきました。

孤立していたのかと可哀想にも思いましたが、

望んで近づかないでオーラを放ちます。

その近づかないでオーラを受けて無関心

いたのです。避けてるとは言いがかりな

やっぱりどこかで仲良くなりたかったの

かもしれないけれど、

話しの内容にちぐはぐ応えられたり

会話にならないです。





でも私はある時 珍しくライブの後で

アーティストとのツーショットの写真を

お願いされたのです。

私が先に頼んだのに、

普段はツンツンされてましたけれど、

都合の良いときだけベタベタしてきます

でもせっかくだから 一生懸命

綺麗に納得するまでアーティストが

頑張ってたので10枚くらい

撮ってあげました。

その日は私も特別おめかししてたので

珍しく自分も撮ってもらう事にしました。

時間も過ぎてたので迷ってたけど、

慌ててお願いしたのですが、ぐずぐずしてたので

撮ってくれながらも迷惑かけてる認識があったの

急かしてはいないけれど

「いい感じですよ」って言われたので

嬉しかったので確認せずバタバタ帰りました。

ただ明らかにめんどくさそうに撮ってて、

10枚を時間かけて撮ってあげた割には雑な

1枚だけしか撮ってくれませんでした。

終わってから長引くのは本当に

迷惑かけるので確認も取らずに帰ったら

全然違う場所のピンぼけ写真でした。

思った以上に雑で、アーティストの

股間を狙って撮ってピンぼけした

1枚が、楽しい気分を台無しにして

かなりのショックでした。

これってわざとじゃないかしら?という疑問

写真を頼まれたら納得するまで責任を持とう

(失敗したらその箱のライブには来れなくなります)

また別の人ですがアーティストのお誘いも

「あの人がいるから私は行かなくていいでしょ?」

言いたい事は見え見えなのです。

そんなのを軽い気持ちで言われても

アーティストは  名指しされるっていうのは

よっぽどですから、私がいじめでもしてるのかと

重く捉えてしまわれます。

なにも関わっていないのに一方的な

被害者意識を押し付けられますと

数ヶ月という途方もない長い時間を

知らずに理由もわからない不安と闘い、

何かあるとコミュニケーションが

うまくいきませんでした。

誰にも語れない心の痛みに

耐えていくしか無いわけでした。



挨拶とか、感情を伝える勇気がない人は

ロボットにしか見えないです。

伝える努力もしないで、「仲良くしてくれない」

自己都合で相手に要求します。

「仲良くしてください」と言われてないのに

「してくれない」

他人に求める一方では困惑します。



そういう類いは、アーティスト生命にも

暗い影響を与えていきます。

ステージの余韻が全て台無しになる。

言わずに消えてゆく人も多いのですが、

言って対応しても解決できない時は

対応するアーティストを悲しませてしまう。



アーティストが作る世界。

ステージだけはいつも完璧なのです。

それだけでも充分だから、行くのだけれど

ただ それだけではアーティストが活動できない。



残念な出来事を図らず見たり

天然の私がもしかしたらうっかり

やったりは、今後もあるかも知れない。

けれど誰かが裁かず、ありのまま受け入れて

どうすればいいか前向きに

捉えていきたいと思うの。

終わった事は仕方ない。

拘っていては、明日が勿体ない訳です。

人だから失敗する訳です

他人のミスを赦すという事も、ひとつの美徳です。

貴方の優しさを誰かが見てくれてるよ。

大人のひとつ階段を上がれると思いましょうね

誰かを裁いて除け者にして解決しないのです。

その誰かの心の中の片隅の

素直さを信じてみたくないですか?

言ってみようかなあ

「こんにちは✨」

いつか  挨拶くらいしてくれるかもしれない。

同じ空間で、会釈もできない時間は苦痛です。

再び悲しませたくない思いで

胸がいっぱいになるのですが

「関わらず」という無難な対応をするよう

言われたのです。

挨拶さえできないけれど

個人個人が相当努力しないと

いけないと思えてきた。

心地よい空間をみんなで協力したいと思う。


会釈したら返そうよ。

(その日は二度と来ないんだから)



間違いに気付いたら謝る。

(迷惑かけて平気な人いないですよ)



迷惑かけられないよう工夫してみる。

(ミスに気付いてないから教えてあげる。自分が困るなら移動する)



人のミスは我が身に置き換えて赦してみる。

(自分がしてしまった場合は、許して欲しいよね)


アーティストが安心して活動できる空間は

ファンと共にあって、これからも続いていくこと

それぞれが歩む未来の先にあって大事な事

あくまで 自分ができてないからの

気付きとしての記録です✨



お互いの空間を邪魔せず

それぞれが楽しむ事

笑顔の連鎖をバトンしよう

限られた時間を工夫して譲り合ってゆく



アーティストが会場を借りてる時間には

限りがあって、その中で多くの人と挨拶して

営業しないといけないのだから、できるだけ全員と

ご挨拶できる時間をそれぞれが工夫して

作ってあげないといけないと思う。


by ひっきーな