フジ子ヘミングの訃報は本当に悲しい。

膵臓癌の告知を受けてから2ヶ月後,あまりにも早い死だったので、とてもびっくりした。

 

フジ子ヘミングは母の死の後、60代後半になって30年のヨーロッパ生活を終え日本に帰国した。

1999年のNHKドキュメント番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映されて大きな反響を呼び、その才能がやっと日本で認められ、時の人となったのである。

 

私は彼女が80代後半にラーストコンサートになるかもしれないと思って高いチケットだったが、東京でのコンサートを聴きに行った。

背を丸めて舞台裏からゆっくり出てくる様子は、少し弱々しくなって、以前のどっしりとした姿とは違っていた。

だが、いざピアノに向かうと、その姿はたくましい昔の姿に変わっていった。

 

ピアノの鍵盤本体を見ないで手の感覚だけで力強く弾く。鍵盤の位置をすべて把握しているのである。

楽譜通りにはあまり弾いていないし、たまに間違えることもあるが、ショパン、リスト、ドビュッシー、すべての曲を自分のものにしている気がする。  

 

彼女の座右の銘「人生とは、時間をかけて自分を愛する旅」が大好きだった。

あと20年早くデビューしていれば・・・と本人は言っているが、そんなことはない。彼女の精力的な姿はとても魅力的だった。

すごく自由な人。束縛を嫌う人。そこがとても魅力的だった。

演奏も絵画も実に見事だ。

人と比べたりを一切しないし、自分のありのままの姿を大事にし、またピアノを弾くときは楽譜を見たことがほとんどない。

全部、頭の中に入っていてピアノは彼女の生活そのものだった

 

甘い香りのするショパンのノクターン。
息をのむように、はっとさせられるリストのラカンパネラ。
 

機械的にきっちり正確に弾くのではなくて、彼女の奏でる音に深い情感がこもっていて、圧倒されるのである。


ヨーロッパでの長年の間に培ったもの、そして、たくさん苦労し、長く続かなかった恋愛による苦悩、そして認められるまでの苦労などたくさん蓄積した経験などもこのような奥深い演奏が語ってくれているのでしょう。

 

レースで飾られシルクでできたユニークな服装やヘアスタイルもオリジナルでとても素敵だった。

 

 

恋愛については、

「恋愛した相手はみんなうそつきの女たらしばかりだった。うそつきでひどい奴の方が魅力あるのよね。人が良い男性はどうも退屈で。」

彼女が語る言葉は本当に真実味があって人間味あふれる。彼女の自由奔放な人生そのものが好きだった。

 

私も最近になって彼女の影響でピアノを始めた。あまりにも彼女の弾くラ・カンパネラが素晴らしかったから。

ラカンパネラ(鐘という意味)もの悲しさもあり、華やかさもあり。。。そんなことでこの超難解曲は弾けるわけがないので、まずは子供用にアレンジした簡単なラカンパネラから始めたのだった。

 

この曲を弾くと本当に磨製の魅力に引きつけられ、我ながらも、うっとりとしてしまう。

 

ショパンの静養地マヨルカ島を訪れたときのドキュメントを先日は放映していた。

生き生きと話をする姿は、まだ記憶に新しい。

彼女の絵も好きだった。

 

「天国ではきっとショパンも私の才能を認めてくれる・・・」と

 

天国で安らかに眠ってほしいです。

 

彼女の人生そのもの、生きる姿 大好きでした。

 

フジ子さん。本当にありがとうございました。