2020年の闘病記をもとに綴っていますクローバー
1月23日※前回からの続きです

夕方になって急変した私

心機能が一気に低下して
心エコーでのEFは5~10%
(正常値は60%以上)になっていて、
急性心筋炎→劇症型心筋炎に移行していた。

一刻を争う事態になり、ECMO/PCPSを
入れるために心カテーテル室に運ばれた。


      画像 ・藤田医科大学HPより引用

ECMO(体外式膜型人工肺)は重症呼吸不全や
重症循環不全・重症心不全に対して行われる
生命維持法で、心臓と肺が生命を維持する
のに十分な機能を失った時に、心臓と呼吸の
補助をする治療法。

ECMOは2種類あって、重症化したコロナ患者の治療でテレビでも取り上げられているけれど、それは呼吸不全で入れるVV-ECMO

重症循環不全や重症心不全に使われるのは
VA-ECMOと呼ばれるもので、
日本や韓国などアジアでは
PCPSと呼ばれている事が多いとか。

ドクターや病院によって違うらしい。

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ECMO/PCPSの挿入中も先生の声は聞こえていて、
意識は何とか保っていた。

終了してICUに戻った時、1度だけ
VT(心室頻拍)を起こし、

看護師さんが
「VT!」
と叫んでバタバタと処置が始まった。

えっ?マジびっくり
意識がなくなる!?と思っていたら、

「機械が補助してくれてるから大丈夫!」
と言う声が聞こえた。

幸い心停止には至らず、素早い処置のお蔭で
正常に戻った。


ICUの外では、急変の知らせを受けた
旦那さんが駆けつけてくれていた。

落ち着いてから旦那さんが側に来て手を握り、
一生懸命励ましてくれていた。
気丈に振る舞おうとしてくれていたけど、
こういう時に肝がすわっているのは
女だからなのか、性格なのか…?
逆に私のほうが旦那さんを励ましていた。

それと、、
こんなことになったのが申し訳なさすぎて、
何度も謝った記憶が残っている。

でも私が思っていた見え方とは裏腹に、
ベッドに横たわる姿は瀕死状態に見えていたそう。
痛いとか苦しいとかはなくて、
とにかく暑くて暑くて汗をかいていて
『暑いっ!!』ばかり言っていた。

布団をはいだり、身体を冷やすために
氷水をもらって飲んだ。

その時の血圧は85/80で、
収縮期と拡張期の差はほとんどなかった。


いつ心臓が止まってもおかしくなかった
心原性ショック状態なのだから、
今思えばあの暑さと汗は
冷汗だったんだろうな。


いつどうなるかわからないこの状態では、
もう地元屈指の循環器専門病院といえど
限界だった。

旦那さんと先生が病状や今後の事なんかを
色々と話をしていた。
そして先生が私の元に来て告げられたのは…



『この病院でできる治療は全て行いましたが
みかんさんの心臓はかなり弱っていて
いつどうなるかわからない状態です。
回復したとしても補助人工心臓や心臓移植が
必要な状態になる可能性が高いのですが、
ここではその治療を行えないので
転院を考えています』とびっくり

『転院先なんですが県内の大学病院か、
大阪にある循環器専門病院を考えています。
大阪の病院は心臓移植や補助人工心臓の
症例数も技術面でも日本でトップクラス
と言っていいと思います。
ですが、ここからだとかなり遠いので
そこがデメリットになります。
搬送方法については最善の方法を考える
のでみかんさんがいい方を選んで下さいと』

びっくりびっくりびっくり


私としては、
"今のこの状態なら大阪の病院の方が
助かる可能性が高いのかな…?”

でも…
"遠いから家族は大変になる”
”子供達にだって会えなくなる"


そんな事を悩んでいたら旦那さんは、

『行きたい方を選んで大丈夫だよ』
と言ってくれたので、
大阪の病院に転院することに決めた。

搬送方法は始めは救急車で行く案があった。
けれど、県をまたぐ事ができない上に
4~5時間かけて揺れる救急車で行くには
身体への負担がかなりかかってしまう。

でも転院するならなるべく早い方がいい。

転院先の病院に私の状態を伝え
搬送方法を検討した結果、
悪いながらも安定しているため
一晩待ち(この時22時頃)、朝になってから
ヘリコプターで搬送することになった。


1月24日(金)
転院当日。

転院前に子ども達と会うことができた!
本来ならICUに子供は入れないのだけど、
遠い大阪の地に転院してしまったら
いつ会えるか分からない状況だったので
病院側が配慮してくれたおねがいキラキラ



面会時に子ども達が掛けてくれた言葉。

当時8歳になりたての下の子は泣きながら
『ママ死なないで…えーん

13歳の上の子は泣くのをこらえながら
『ママの手温かい…生きてる…死なんでよ…ショボーン


上の子の話によると…
その時、ベッド上の私は真っ白な顔で
息も絶え絶えな様子だったと言っていた。


私は子ども達に
『こんな事になってごめんね、ママ
大阪の病院で頑張ってくるでね!
絶対元気になって戻ってくるからね!』
と伝えた。

5分程の短い時間だったけれど、
少しでも会えてよかった照れ
病院の配慮に感謝ラブラブ




ヘリコプターは朝9時に飛ぶ予定だった。
けれど、なんていっても風が強いこの地域。
強風のため飛べず、風待ちにゲッソリ

数時間待機し、ようやくGOサインが。
病院からヘリポートまでは救急車で行く事に
なった。出発時間は13時。


バタバタとICUを出る直前、看護学生時代の
同期が来て送り出してくれたバイバイ



そして救急車に乗り込み、
ヘリポートへと向かった…救急車