2020年の闘病記をもとに綴っていますクローバー


1月21日の夜間に緊急入院した私は
カテーテル室に運ばれ
IABP(大動脈バルーンパンピング)
と呼ばれるものを装着した。

IABPとは

         画像・看護roo!より引用


鼠径部から大動脈内カテーテルを挿入し
心臓に近い大動脈に留置させて、
心臓の動きに合わせてバルーンを拡張・収縮
させることで心臓の働きを助ける循環法の
一種。

IABPを入れCCUに移された時には
日付はすでに変わっていた。


1月22日
呼吸は苦しくない……意識もある……!
身体の真ん中当たりでパコパコとバルーンが
動いているような感覚があったあせる
でも痛みも特になく看護師さん達がバイタル
測定や処置をしたり、
ドクターも常に動向を見守ってくれていた。

ICUに入ったのは2年ぶりで、
置かれた状況が大変だと思いつつも
周りの状況を観察する余裕もまだこの時は
あった。



時計も見えなくて時間の経過も分からず、
カーテンのすき間から見えるスタッフが
あわただしく動いている景色をぼんやりと
見ながら色んな事を思ってたショボーン

⦅今回は機械が入ってしまったから
前みたいにすぐ回復して帰れないかも
しれない…⦆

⦅このまま酷くならなきゃいいなぁ…⦆

⦅子供達大丈夫かな…?⦆

⦅また職場に迷惑かけちゃうな……⦆


そんな事を思いながらとにかく今は安静に
して時が経つのを待つしかない!
でも、、寝たいけどICU独特のモニター音や
機械音なんかが気になって眠れないあせる

ただ目を閉じて時が経つのを待っていた
長い長い夜だったお月様

朝になりEF(心エコーで左室から全身に血液を
送り出す力・左室駆出率)はなんとか40%
(正常値は60%以上)程を保っていた。

日中の面会時にも旦那さんや兄と
会話もできていた。

夕方になるにつれEFがどんどん低下して
20%程になってしまい強力な強心剤を
使うことにチーン
それでもまだ意識ははっきりしていたし、
会話もできていた。


看護学生時代の同期の男の子が師長として
勤務していて、2年前にもお世話になった。

今回もベッドサイドに会いにきてくれ、
今の現状を詳しく教えてくれた。

『ちょっと前より厳しい状況だね。
今はIABPと強心剤でなんとか保ってるけど、
劇症型に移行したらいつどうなるかは……
子供が待ってるから気を強く持って
頑張りなよ!』
と現状を伝えてくれ、励ましてくれたニコニコ

私もそんな事を感じながら、急性から
劇症型心筋炎に移行しませんように🤲
とひたすら祈るしかなかった。

心筋炎に対しての特効薬はなく症状に対して
の対症療法しかなかったため、心機能の低下
が止まって回復に変わってくれるのを
待っていた。


1月23日
次の日の午前中
前日とさほど症状の変化はなかった。

夜勤前に旦那さんが面会に来てくれた時も
短い時間の中で沢山話したけど……

何となく言っておかなきゃって思って
・家計に関する事
・支払関係の事
・通帳関連の事
なんかをを伝えておいた。

今まで全て私が管理してきたから、
何かあっても旦那さんが困らないように。
カードの暗証番号なんかも全て。


そして事態が急変したのは19時頃

旦那さんが夜勤のため家を出るタイミングで
電話がかかってきたと言っていた。

『心機能がかなり低下していて状態が
思わしくないので今すぐに来て下さい!』
と……


私ははっきりとは覚えてないけど、
うろ覚えの意識の中

『心臓がかなり弱ってきているので今から
循環を助ける機械をいれますからね』
とベッドのままカテーテル室に運ばれた…
のは何となく覚えていた。

後から聞いた話だと
その時のEFは5~10%滝汗あせる
もう今にでも心臓が止まってしまうような
かなり危険な状態で
急性心筋炎→劇症型心筋炎
に移行していたのでした……滝汗滝汗