眠りのリズムが乱れている。

まあ珍しい事じゃないけど。

夢は、まとまった睡眠をとれた時に見る。

正確には、

ちゃんと眠れた時には見た夢を覚えてることができる、なんだと思う。

夢はすぐ忘れる。

 

わたしの夢はわりかしディテールが細かい(と思う)んだけど

基本はもちろん起床してしばらくしたら忘れるし

何なら、起きてすぐメモっていてもその最中に細部の記憶は蒸発していく。

夢日記ってのはだから、印象を書き留めてるにすぎないよな。

むしろ創作に近い。

 

今日は雪山の夢をみた。と思う。

雪景色と、寒さと、眼球の乾きと冷たさとを覚えている。

夢日記を書くほどでもない。もう細部は忘れた。

 

 

そういえば最近、

「あなたのために」という命題に、ようやくケリがついた。

 

「あなたのためなのよ」って言葉は、

そんなふうに「あなたのため〜」って押し付けがましく言われながら

嫌な事された記憶を呼び覚ますのだろう、

多くの人が過剰な(と、わたしには映る)拒絶反応を示す。

 

けどでも、

「わたしがやりたくて、勝手にやってることなの」という言い方も

それはそれで過剰なものを感じる。

誰かのために動くのに、そこまで自分を殺す必要があるのかな、とも思う。

思ってきた。

 

「わたしがやりたくて、そうしてるの」という人の気持ちってきっと、

「わたしにとってあなたは大切な人だから、知らぬふりしてやり過ごすことができな いの。でも、あなたにとって何が最良であるかは、計り知れないから。

 おそらくあなた自身にもわからないことを、わたしが勝手に判断はできないから。

 だからせめて、迷惑にならない程度で、少しでもあなたの何かを受け持ちたい」

みたいな事を、短くわかりやすく言った言葉なのではなかろうか。

 

まあ推測にすぎないし、

もっと深い何かがありそうだとも思うので、そこらへんは軽く流してネ。

 

推測にすぎない、と言ったのはやはし、そういう事をわたしが意識できてない

現れなんだろうな。

わたしは、

誰かの手を煩わす事さえあれ、誰かの役に立てた事なんて、ほぼ無いから。

 

 

「あなたのために」って言葉でいつも連想するのは、手紙を書くことだ。

 

アナログの手紙って、

メールと違って長文だと目に見えて分厚くなるからめっちゃ引かれるし、

そもそもが書く方の気力がそんなに長続きしない。

書きたい事を整理して、わかりやすい言い回しにして(これはメールも同じか)

読みやすい分量と内容にしたい。

きれいな字とか、段落わけ、行あけとか

あと何より大事なのは印象かなあ。

気分良く読んでもらえて、読んだ後もちょっと気持ちが上がるような。

 

手紙を書いてるときって、めっちゃ、相手のために、って感じがする。

これを、

「あなたのためなのよって言ってくる奴はロクなことしてこない」

みたいに断じてしまうのは、残念な気がする。

 

 

 

最近、「できればやりたくないような面倒くさい事でもやっちゃう理由」

みたいな内容の、ひとの書いた文章を読んだんだけど、

その中で、

「相手が喜んでくれることをやってる、のとはちょっと違う」

「やってやってる、って恩に着せてるのとも違う」

と、いろいろ考えて

「そうか、私は自分だったらやってほしい、って事を人にやってるんだな」

という答えにたどり着いてたのね。

それ読んで、胸にスッと落ちてくるものがあったな。

 

 

わたしはどうかな。

手紙のことだけ考えても、それとはまた違う。

気遣いバリバリの手紙は、自分がもらってもたぶん、重い。(ええ〜?ひどい)

また、気遣いが本物であればあるほど、その気遣いには気付けない気もする。

わたしがして欲しいことをしてるのかといえば、そうかもしれんし

それともちょっと違う気がする。

 

手紙を書いてる時の自分に焦点を当てて、そこに限って言うなら

「普段よりさらに気をつけて、最大限に相手を尊重しようとしてる」

というのがいちばん近いと思う。

 

でも、それをするのはつまり、

自分が、自分を尊重されることが、いちばんの望みだから、だ。

やっぱりわたしは、わたしがされたいことをしてる!!

 

 

 

ええとつまり、

わたしが、「このひとのために」と考えているときは、

そのひとを最大限に尊重したいと思っているときで、

それはまさに、わたしが人からされたいと望んでることなんである。

 

おおー。何か、たどりついた感あるなあ!

 

これってたぶん、人はみんな、青年期あたりでたどりつく答えなんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

雪山の夢は、ただただ困難で、身体的に辛かった記憶がある。

けれどわたしは楽しいと思っていた。

楽しんでいた記憶が残ってるんだ。

 

わたしはこれからも、

誰もが気軽に出来るようなことに(まるで雪山に臨んでるみたいに)ひーひー言うんだろうなあ。

生きてるなーと感じるね。

うん。

生きてるなーと思いながら生きるよ。