「若い頃は感情のディテールが無かった」と、書いているひとがいた。

うまいこと言うなあ。

わたしも、若い頃はあんまりいろいろ考えていなかった。

子供の頃なんか、感情ってものがあまり無かったように思う。

子供の頃はほとんど毎日、ぼんやりと、「辛いなあ」って思って生きたいた。

全く、問題は無かった。

他にどんな毎日が存在するのか、知らなかったもん。

 

感情がほとんど無いとかは 子供にありがちで(と、思うんだけど、どう?)

自分の感情がそもそもわりと無視されていたし、

周囲の子供たちもお互いに、お互いが感情ある生物としての認識が薄かったし

(と、思うんだけど、どう?)←しつこい

高校生やら大学生のころなんて、まあ、人を思いやるという点においては

アウストラロピテクスにも及んでいなくて。

 

そして、無敵だった。

 

毎日が重苦しくてご飯を食べたくなくて重圧で眠れなくてもわりと平気だったし

いじめられても孤立してても耐えられないような恥ずかしい目にあっても、

それをずっと引き連れて、苦しさとずっと一緒に生きて、問題ないと感じていた。

友達とケンカしたあと、翌日にはなんとなく会話して笑いあったりしちゃえば

HPはすぐ満タンになった。

先生に目をつけられてても、テストで満点とってるのに成績が悪いとかあっても、

仲良しの友達がひとりいて彼女といつでも笑いあっていたから平気だった。

そういえばあの先生、教室でモノが壊れたり荒らされたりしたときは、いつも
あたしたちの所為ってことにしやがったなあ。
けどあたしたちは、なんにも反論しなかった。
あとでふたりだけで、「違うのにねえ」って言いあって笑うだけだった。
私たちをわかろうとしないヒトたちは、相手にしなければ済む話だった。

 

 

心のひだが増えて、ひとのこころを想像して、尊重して、思いやって

それで私は果たして、

ひとを傷つけることが減ったと言えるだろうか。

 

感情のディテールが増えたことで、私に何か良いことはあったんだろうか。

 

 

ただただ、

昔の私と今の私は違う、と。

言えるのはそれだけな気がする。

 

 

昔と違う私は、昔と違う楽しみと苦しみを生きている。

ひょっとして、今も無敵なのかもしれない。

 

そんなくだらないことを考えた日でした。