「それは鬱の症状だから」

「自分の友人はドン底だったけど、処方された薬飲んで、もうやる気が溢れてターイヘンって具合だよ いま」

とか言われました。

久々に電話してきた人に。

 

 

うん。

もう1年以上公式の漫画描いてないわたしに、今でも何か助言めいたものを言ってくれる存在があること自体、ありがたいね。

しかし何だな。

こういう事を言ってくる人は 何故に、

わたしが「ありがとうその通りだね!そうする、言われた通りにするよ!」

と返事するまで許してくれないのか。

 

 

 

『誰かのために』という言葉について、いまだに考える。しょっちゅう考えてる。

わたしもいいかげん、シツコイ。

 

 

以前にも書いたけど。

「手紙を書くときには、あなたのために書きました、と言いたい」…という文章を

どこかで読んで、素直に感動したんだった。

きっとその前後の文脈から生まれた感動だったんだと思う。

今のわたしには、その感動を再現する文章力もバックボーンも、無い。

 

 

「あなたのため、って言ってくる人に限ってって、ロクなことしない」

とは、よく聞く言葉だ。

それを言うひとは皆、「あなたのため」って言われながら、よっぽど嫌なことされてきたんだろう。

わたしにだって経験がある。

アナタノタメヨ〜って言われながら、まー、いろんな嫌なことをされてきました。

 

そんなふうに 嫌な思いをしてきた結果、

みんな、

「自分が誰かに何か働きかける時には、私がそうしたいからするんだ、と言おう」

と、思うんだろう。

わかる。わかるんだ…

 

 

何をわたしはそんなに、引っかかってるんだろう。

 

 

「あなたのために」って言われながら嫌なことされてきた経験が、

「あなたのために」ってまごころを、見えなくさせているように感じるんだ。

 

 

誰かのためだろうが、自分がそうしたいからしていようが、

嫌なことされたら嫌だし、

同意と服従しか認めない言葉なら、嬉しいとは思えない。

そういう、シンプルなことではないの?

 

 

「これは私がやりたくて、勝手にやってることだから」と言ってる人がする事が

はた迷惑なことだったとしたら。それはやっぱり、

「ヨソでやってくれ」「こちらは結構です。自分のためにやってどうぞ」

って、返したくなるよね…

 

 

 

ああ結局、どう表現したらいいかわかんないや。

 

わたしは、

「アナタノタメヨ」って言われながら嫌なことされた経験もいっぱいあるし

「あなたのために」って言われて 感動したこともあります。

 

 

吉井和哉は偉大だな。

愛とは あなたの為だとか言ったら 疑われるけど 頑張っちゃうもんね。

愛とは 自分の為だとか言ったら 嫌がられるけど それもあるんだよね。

 

これに尽きるなあ。

 

 

冒頭の、友人に、わたしは

「貴重な意見として、詭弁ではなくちゃんと考慮に入れる。それはありがとう」

「けどあなたは、私がこうなった経緯も、いま私がどうなりたいかも、知らない。

あなたは私じゃないからね。だから、私が うん と言うまで しつこく繰り返してくるのは、明らかにやりすぎ。」

というふうに返したい。

返したい、とは思う。返せるんならね。

 

しかし、長いな。

こんな長セリフ、そもそも、

一方的に意見を押し付けてくる人は、聞いてくれんだろうな。

 

ちなみにわたしは、

「うるせーよしつこいんだよ そーいうのクソバイスってゆーんだよ」

と、返しました。 さいあくやね。

 

全ての言葉や行動を受け止めて自分の糧とできるほど、ニンゲンできてねーです。

もうたぶん一生、そうはなれないでしょう。