濃厚な接触はやめましょう自分のためにもひとのためにも。

という常識が世に満ちてからもう長い時間が過ぎた。

日々更新されるデータが、個人の存在を証明する(唯一とも言っていい)手がかり。

街と人とは、仮想空間で接するものとなりマシタ。

 

ひとと濃厚に関わることがなくなった世界で流行したのが、皮肉にも

ひとの頭の中を覗き見る行為。

頭の中を知りたいと思うことは、濃厚に関わることとは言えないのかな。

物理的には。

物理的間接的接触が、接触が、問題、だそうです。

 

法の整備が追いつかず、また監視する人員も確保育成ができないので

データ内のプライバシーは現在ほとんど保護されません。

記憶や思考、無意識の領域にまで、誰かの頭脳に自由に立ち入ることが出来て、

そうすると、

覗き見られる対象にも、

(まるで流行りの音楽のように)人気不人気が生まれるのでした。

「こいつの頭の中は、無意識に至るまでまるで面白みがない」と判断されたり

逆に

「何度でも覗き見たい、浅い領域も深い領域も。飽きない」とされたり。

 

覗き見、と言われるのには理由がある。

現在と過去全てのデータを取り入れ再現したとしても、仮想空間の中の個人は

所詮データの再現でしかないから。

覗き見ることは出来ても、そこに作用することはできないのです。一方通行だ。

あなたが

夢中になって見つめている相手が、もしも、同様にあなたを見つめているとして、

オリジナルのふたりが視線を交わすことは無い。

孤独は平等だ。

誰かに夢中なひとも、自分に夢中なひとも、誰にも夢中になれないひとも、

ひとしく、ひとりぼっちになりました。

 

 

 

誰かの脳を覗き見し続けたあげく、

その誰かさんのオリジナルに接触しようとする犯罪が発生するようになった。

罪をおかすひとびとは、その想いが一方通行であることを理解していたのかな。

彼ら(あるいは、彼女ら)が犯罪に至った過程は多々あれど、さいごには、

彼ら(あるいは、彼女ら)は決まってこう言うそうです。

 

「だって、愛しているんだ」

 

 

 

愛は、何ですか。

愛は、ひとりぼっちでも発生しますか?

 

後年、世界は「愛」を罪とするようになるのでした。