後悔の記憶を手繰ってみている。

 

先日、めっちゃ自分勝手な弱音を吐いたら、驚くほどラクになった。

一方で、「あー恥ずかしいな。しょーもない自分がダダ漏れだなあ」とも思った。

うっすら、そう思った。

まあ、ダダ漏れでなかった事などないな、とも思うのでさほど気にならない。

そうか。恥は、後悔の種にはならないんだな。わたしの場合は。

 

 

後悔。

後悔してるのは、あの子のことだ。泣かせてしまったあの子。

そうなることは薄々わかっていたのに、考えないままわざと放置した。

少し後悔してるのは、あのひとのことだ。好きにやらせてくれた、あのひと。

それに甘えて、あまりにも身勝手だった。相手の気持ちを思いやることもせずに。

 

 

「ひとは自分が傷つけた相手を憎む」と言ったひとがいた。

自分「が」傷つけた相手を憎むの?

自分「を」傷つけた相手じゃなくて?

 

でも、それはある意味、的を射ていた。

 

泣かせてしまったあの子と、もう一度友達になりたいとは思えなかった。

傷つけたであろうあのひとと、もう一度やり直したいとは思えなかった。

自分のしたことを悔やめば悔やむほど、取り返しのつかないことだと感じた。

むしろなるべく関わりたくないと思った。逃げるように。

 

憎むってどんなんだろう。

ものすごくものすごく、恨みに思う相手がいたとして、

報復をしたいと恨み続けることは、相手を長く脳に住まわせ続けることだ。

脳がケガれるから、ヤだな。

恨みが強い相手ほど、早く忘れてしまいたいと思う。

 

いや、わたしは聖人君子じゃないからね?

 

恨みをさくっと晴らす手段があるなら、さくっと報復して終わりだ。

即時、殴られたら殴り返す、ってできた相手には、さほど恨みは残らない。

そもそも、恨むってのは、報復が容易じゃないからであって。

恨んで恨んでしかたない相手とは、つまり、恨みが晴らせそうにない相手のことだ。

そんな相手とは、

縁を切って遠く離れて関わらないことが、結局は、いちばん有効な処置なのよ。

 

…なるほど。

恨んで恨んでしかたない相手と、自分が傷つけてしまった相手とは、

対処のしかたが同じになるんだ。

 

 

わたしは、傷つけた相手を憎んでいるのか?

 

 

心は、違う。

相手を傷つけた、自分をむしろ、憎むよ。

けれど行動は?

 

タイムマシンであの時に戻ったなら、せめてごめんと言う。

許してくれなくてもいいから。

悪いのはあなたではなく私なのだと言う。

けれどできない。タイムマシンは持ってない。

この憎むべきわたしを、わたしは深く愛し生涯をともにしてゆくから。

だから、あなたを、切り捨てるのです。

 

生き物を食べることでしか生きていけないように、

たいせつなひとを傷つけて、食べて、生きてる。

 

 

このあいだ、自分の気持ちを言語化してみたら、

(けして、思った通りには言葉にできなかったけれど)ホッとした。

今の自分は恥ずかしくてどうしようもなくてみっともない、と思うけれど、

今に至る過程、あらゆる行動と判断は、タイムマシンがあってもやり直さない。

後悔、してない。

 

自分の直感に従うようにしか、組成されていない。

いつまでも、オトナにはなれない。