コロナで騒然となっている世界の状態が、もう、今ほんとうに苦しい。

苦しいと思わない人なんかおらんだろう、とは思うが。

 

注意力は微妙だし、やる気はからきしだし、明確な不安と、

言葉ではうまく言えない不明確な不安とが、満ち満ちている。

よく眠れない日々が続いている。

 

言葉にする試みをして、何度も失敗してるけど、今日もやってみるよ。

なんか今、正直な気持ちを書いて残しておいたほうがいい気がする。

 

 

          **********

 

 

おととし、だったと思う。インフルエンザに罹った。
少しおさまったと思ったらまた高熱が出る、という状態が、1週間以上続いた。
手足の痺れや頭痛・吐き気は、それまで経験したことのないもので、
1日24時間、途切れることがなく
薬を飲んでも横になっても、眠っていても辛かった。
このとき歯を食いしばり続けたせいで、長く歯科に通うことにもなる。
 
けれど、ほんとうに辛かったのはむしろその後。
「治った」としか、他に言いようのない状態になってからだった。
 
 
「治った」
「もう、インフルエンザ患者では、ない」
そのはずなのに。
駅前のスーパーまで買い出しに行くのに、途中でいちいち座り込むありさま。
台所に立っても、食事を作る間に何度も座り込む。
お風呂に浸かると動悸がつらい。
まるっきり、病人のままの体力だった。
 
仕事は、既に締め切りを延ばしてもらっていて、これ以上はとても休めない。
いや、事情を話せば、ちゃんと相談に応じてはもらえただろう。
けれど私自身が、自分の現状に対して、腑に落ちない気持ちしか無かったから。
うまく説明できなかった。
「インフルエンザのせいで、ずーっと、何ヶ月もの間 グアイが悪いです」とか、
聞いたこともないじゃん?
自分でも納得できないよ。
 
 
無理をした。
座り仕事だから、なんとかできた部分がある。
「こんだけ頑張って仕事したんだから、コミケだって休みたくない」と思った。
よせばいいのに、そこでも無理をした。
 
けどさ。
無理をしない仕事とか、あるの?
 
……あるのかも。
 
でも私にとっては、仕事は無理をするもの、だった。
無理をせずに仕事を仕上げたことが、そもそも、一度もなかった。
…もしかしたら、病気になる前、人生の初手から間違っていたのか?
でも、無理してたって人並み以下の仕事量だった(と、自分で思っていた)もの。
無理をしなきゃごはん食べていけないなら、無理するしかないやん!
 
ああ文章が長い。
しかもこれ、以前にも書いた内容なんではないか?
まあいい。とにかく。要するに。
 
 
「自分はもう病人ではない」という認識に体がついていかず、
そしてそれを、
ひとに説明して仕事や生活を調整することが、うまく出来なかった。
それが、辛さの芯だった。
 
 
そして、わたしはバーンアウトした。
 
 
 
 
仕事が、できなくなった。
その原因は体力的なものだけではない、という自覚はある。
けれど、
「体力さえあれば、まだ無理はできたはず」と。今も思ってしまうのだ。
インフルあけ、なんとか一通りの仕事(と、コミケ原稿)を終えたあと、
体力はまた、インフル直後ほどに落ちた。
 
なぜ、仕事しながら 回復を並行させることができなかったんだろう。
ただただ情けなかった。
 
 
その後、
ありがたいことに、仕事をと申し入れてくださるところはあったし、
1年間、毎月、打ち合わせに通って下さった方まであった。
けれど、応えられなかった。
 
 
日々の生活をこなしてゆくところを 5
仕事をこなしていけるところを  10 と、目盛りを打ってみる。
11やら15やらを目指していきたいところを、
ひとまずは 5 から目指す。
1年経って2年経って、やっと、メモリ2、3、あたりまで回復してくる。
まだ元通りにならない、仕事ができない、と凹むなかで、
「それでも、一昨年や去年よりずっと元気になってきたじゃんか」と、自分を励ます。
そうやって、
じりじり、じりじり、と 亀のように進んでいた。
ところに、
この、
今年の、
コロナの流行である。
 
 
つらい…
 
 
年単位でやっと、それでもまだまだ人並み以下、元どおりには程遠い場所まで
なんとか登ってきたところなのに。
もし、これに罹患してしまったら。
また、転げ落ちる。
しかもおそらく、もっと下に。
一昨年のあのインフルエンザの症状、あれ、「軽症」に属するんだってよ。
 
 
もちろん、自分が罹患することだけが不安の種ではないし、
気遣うべきは「自己の予防」だけではないことは、わかってます。
なんだか自分のことばっか気にしてるみたいで恥ずかしいよ。ごめんね。
でも、とりあえずはここ、
この、辛さの芯、の話なんだ。
 
 
生活物資が入手できなくなることよりも
旅行や外出ができなくなることよりも
親しい人や家族に会えなくなることよりも
いちばんに。
「自分が、もう立ち治ろうとする気力を失うこと」が怖い。
 
そう。
わたしは今、怖い、です。