車に乗っているでしょう

雨が降っているでしょう

そんなに早過ぎてもいけない、けれど少しずつ、スピードがあがっていく。

あめつぶが

車の窓をつたい落ちる雨粒が

風に吹かれてぶるぶると横滑りしていくさまを、飽きもせず眺めていた。

ああ信号で止まったら、さっきのぶるぶるが止まってしまった。

お父さんもっとスピードだして。さっきと同じくらい。

 

 

車の窓でおどる雨粒を、「ぶるぶる」と呼んでいた。

 

ごめん格好つけた。じつは「ちゃん」を付けて「ぶるぶるちゃん」って呼んでいた。

大好きだった。

今もこんなに鮮明に覚えているのは、もちろん幼かったからで(幼いころは刺激に慣れていないからいっこいっこが新鮮な体験である、だから記憶も鮮明なんだ、という説を聞いたような)

あと、車に乗るたびに、雨の日に車に乗るたびに、それを楽しみにしてきた…つまり

繰り返しの記憶でもあるわけで

わたしが車に乗っけてもらうのが好きで、父の車が好きで、そして父も車に乗るのが好きだったという。

つまりは、しあわせの記憶だ。

 

 

こわい。あれ以上に強烈に惹きつけられる感触が、今、どこにもない。

 

 

雨の日だけではない、とにかく父の車に乗るのが好きだった。

夏の、エアコンのない車の後部座席を倒して、荷台に寝転がって見上げた入道雲。

夕方の、雲間からのびる光の束。そう本当に天使が降りてきそうだよね。

友達と遊んだ帰り道。定時で帰宅する父の車が、うしろから坂道を上がってくる。

振り返らなくてもわかる。お父さんの車は、「リーーーー」って音がするよ。

排気ガスがいいにおい。

 

日常。

あの、肌の上に感覚が乗ってる、ピリピリぷちぷちとした感覚。

目に、耳に、ほっぺたに、たましいが宿っていた。

 

 

 

脳の本を読んでいる。

 

わたしは脳の話が好き。

脳科学ではなく、脳に関するヨタ話が好きだ。

ヨタ話だなんて。そんなふうに書いてその後本を紹介したら失礼になるような気がする。ので、本のタイトルが書けない(笑

その本には、生れてから9ヵ月後以降の日々すべてを記憶しているひとの話やら

30秒以上記憶が続かないひとの話が出てくる。

らしい。

たのしみ。

正確には、読み始めて序文を読んだところで、

これ以降、読んだら何か感覚や思うことが変わりそうな気がしたので

その前に何かを書き留めておこうと思って、以上の文を書きました。

 

今のわたしには、「ぶるぶるちゃん」に類似するものが、ない。

それはわたしが歳をとったからかもしれないし、心が折れてるからかもしれない。

けれど問題は、ぶるぶるが、無いことではなくて、

「無ければ動けない」と思い込んでることのように感じている。

 

あと、

無いでは無いで、人生がうつくしいこと、も、ちょっと問題なのかも。

ね。