捨てた覚えもないのに、あると思ってたもの…いや、絶対、あった物、

あるはずの物が見当たらなくなるときって、あるじゃないですか。

(我ながら紛らわしい文章だ)

わたしの場合、それは洗濯ネットでした。

 

洗濯ネットなんて、「捨てよう」と意識しない限り捨てないものじゃないですか?

うっかり捨てるとか、何かと間違って捨てるとか。ないない。ないでしょう?

なのに、無い。(我ながら紛らわしい文…)

昨日までは使ってたものなのに。なんでいきなり、しかしどこをひっくり返しても、無い。しかもふたつあったのの、ふたつとも!

困るよ今日だって洗濯するし。

しかし大して困らないよ100円ショップで買ったものだしすぐ買えるし。

……んで。

なんかこう、正解を教えてもらえなかったクイズみたいな気持ち悪さを抱えつつ、

まあでもすぐにまた100円ショップで買ってそのまま日々は過ぎたわけです。

 

半年ほど経った今日。

それが出てきたんです。ダンボール箱のなかから。

 

ダンボールには数冊の、ある本の塊が入ってました。

見るといろんなものを思い出して辛くて、実際それがそこにあるというだけで体調が悪くなるような、私にとってその本はそのようなもので。

1冊2冊ならまだしも、同じ本が数冊あれば、ただ処分するのにも気を遣う。

廃品回収の集積所で「同じ本をこんなに何冊も、この人なんなの」って思われやしないかしら。「万引きしてきたものじゃない?」とか。
しかし1冊ずつを毎週捨てていくのもまた、それまでずーっと、ぜんぶ捨てきるまでずっとその本のことを頭に置いてなきゃいけなくなるような。居心地の悪さ。

つまり、

わたしは咄嗟に、臭いものに蓋をしたわけです。

 

そこにあった空きダンボールに、ヒョッとその塊(本はパッキングされてひとかたまりになってました)を放り込み、そして瞬時に忘れた。

 

半年ほども放置されたダンボールのある家。

まあ、小さなものだったのですが。よくぞ今まで意識に上ってこなかったもんだ。

 

 

 

今日、掃除してる時に

「そういえばこのダンボールずっとあるけど、何だろう」と思って、開けてみたわけです。

そうしたら、パッキングされた本の塊とともに、洗濯ネットがそこに在りました。

 

 

 

想像するに。

 

持ってたんでしょうね手に。

洗濯物を干した後とか。あるいは片付けの最中とかで。

んで、そこに本が届く。

中を読みふけったわけではもちろんない、のに。

その塊、パッキングから垣間見えるその本の表紙を、目にしているだけでどんどん気分が悪くなっていく。

取り乱す。どうしようどうしよう。

捨てちゃおう。ああでも。あれこれ…(先述のような悩みを悩む)

 

ぷつん。

 

(うん。とにかく見えなくしてしまおう!)

 

 

 

 

 

 

…よかったよー本で。

これ、ナマモノだったらおおごとだよー。

 

あのときも今も、わたしには辛いことがあって、

それをひとに説明するのはとても難しくて、

こんな状態のまま一生治らないのかと思っていたら、ふとした時に何もかもが軽くなっていたりして、

そして翌日にはまた、それが錯覚だったかのように揺り戻しがきて、

そんなふうに、

日々のお天気のようにくるくる変わるこころに振り回されつつ

その不安定なこころさえも己の血肉になってゆく。そんな毎日です。

 

わたしは元気で、生きてます。

玉ねぎの皮を剥くように、ちょっとずつちょっとずつ軽くなってる。はず。

玉ねぎって、どこまでも剥いて終いにはなくなっちゃうんじゃないの、とか。

まあ。

 

それもじんせい。