たぶん5千万人くらいは考えたんじゃないかな。

緑が、あんまりにも綺麗で、
でもこの緑はわたしの目、網膜に映ってからのち脳で再構築された緑であって、
同じものを見て「緑だ、美しい」と思っていてもその脳内の信号は人それぞれ
実は全然別だったりして
あの人の緑をわたしの脳で再生したら全く違う色、色ですらないモノかもしれない。

なんて。

そうやって無数のみどりいろが在って、あなたとわたしの感じる色は別物で、
でも、例えばこのクチナシの葉の緑、花の白、芳香はこの世にたったひとつの存在。
受信されるかたちは無数にあっても、発信されたかたちはいっこだけだ。
無数なんだか唯一なんだか。


そんなふうに、1億人がいたらそのうちの5千万人が一度は考えそうなことを
考えながらつらつらと歩いていた。

「本当のこと」なんかがあるとして、
みんなの「本当のこと」がそれぞれ違うってことは横に置いといて、
(置いとくんかい)
ふたりだけのこと、ふたりの、親密な関係のなかで起こったことは
みんなに説明しようとしてもうまく理解されないんじゃないか、とか。
そういうことを。

 


私の中の諸事情とか、
人様はどうであれ、わたしにとっては「どうにもならんこと」とか。
まあいろいろ、いろいろ。
みんなに、ひとりひとりに、わたしのこの頭の中身をこまかく説明して
理解してもらうのは難しい。
けど。

親密なひとり、たったひとりが
「あなたと自分とは別々であって、何か共有していると思っていると齟齬が出る。」
「それを分かった上で、でも限りなく寄り添いましょうよ」
と、いうふうにしてくれている貴重さ。

みんなにはうまく伝えられないとして、でも、ひとりに、だったら。

(伝え、られる、のかな? いや、どうかな?)

 

 

1億人いたら1億通りのみどりいろがあって、
1億分の1の わたしの緑と、1億分の1の あなたの緑が
限りなく近くなっていく、この、途方もなさ。
宇宙だなあ。
途方もないなあ。




そういうことを考えながら、
汗かきながら
梅雨の晴れ間を歩いたりしてました。

ヒマなんか私?