「先にあげたのは全て検討されていない想定、思考で、それが現実と混同されている。どれも、あなたが今安らかな気持ちでいられない、今充分に自分らしくいられない理由として、あなたを説得するためにエゴが創り出した物語だ。安らかな気持ちでいられるのと自分らしくいられるのとは同じことである。」
「将来のいつか、私は安らかな気持ちになれるかもしれないーあれやこれやが起これば、これが得られれば、こうなれば、あるいはこう言う。私は決して安らかな気持ちになれない。何故なら過去にこういうことがあったから。人々の物語はみんな、“どうして私は今安らかな気持ちになれないのか”という物語だ。エゴはあなたが安らかな気持ちになれるチャンスは今しかないことを知らない。知っていても、あなたがそれに気づいては大変だと恐れている。安らぎはエゴの終わりだからだ。」
「それでは、今安らぎを得るにはどうしたらいいか?今という瞬間と仲直りすることだ。今という瞬間は、生命というゲームが進行している場である。生命は他のどこかで展開することもありえない。今という瞬間と仲直りしたら何が起こるかを、自分には何ができ、どんな行動を選ぶことができるかを、それよりもあなたを通して生命がどう展開するかを見つめよう。生きる秘訣すべての成功と幸福の秘訣は、次の言葉に要約できる。”生命とひとつになること“。生命とひとつになることは、今という時とひとつになることだ。そのときあなたは、自分が生命を生きているのではなく、生命があなたを生きているのだと気づく。生命が踊り手で、あなたが舞踊なのだ。」
「エゴは現実を恨むのが大好きだ。どんな現実か?どんな現実も、である。ブッダはそれをタタータ、あるがままの人生と呼んだ。あるがままの人生とは、あるがままのこの瞬間でもある。あるがままの人生、あるがままのこの瞬間に対抗する、それがエゴの特徴の一つだ。それによってネガティブな状態が創り出され、そのネガティブな状態のおかげでエゴが肥え太り、エゴが大好きな不幸が生まれる。そうやってあなたは自分も他人も苦しめるが、自分ではそれに気づかないし、自分がこの地上に地獄を創り出しているとも思ってもいない。知らずに苦しみを創り出す、それが無意識な生き方の本質だ。完全にエゴに囚われた生き方である。自分を認識できず、自分が何をしているのかもわからないエゴの無能力さは驚異的で、まさに信じ難い。エゴは他人を糾弾するが、自らがそれと全く同じことをしているのに気づかない。その事実を指摘されれば怒って否定し、巧みに反論し、自己正当化のために事実を歪曲する。個人もそうだし、企業も政府もそうだ。そしてすべての対抗に失敗するとわめき散らし、物理的暴力まで振るう。海兵隊を派遣する。そう考えると、十字架上のイエスの”彼らをお許しください。自分で何をしているかわかっていないのです。“という言葉がどれほど深い智慧から発していたかがよくわかる。」
これは、遠くでも、身の回りでも、いろいろ見聞されますね
他を糾弾したくなった時点で、これはエゴのしわざだと気づいてください。
大いなる存在は、包み込むだけで糾弾などしません・・
その糾弾の矛先は必ず自分に向かいます
エネルギーは、必ず出した者に戻ってきます
身体的にも、恐怖や怒りで作り出されたアドレナリン等は、自分の細胞を傷つけていきます・・・
エネルギー・宇宙の法則は単純です




「将来のいつか、私は安らかな気持ちになれるかもしれないーあれやこれやが起これば、これが得られれば、こうなれば、あるいはこう言う。私は決して安らかな気持ちになれない。何故なら過去にこういうことがあったから。人々の物語はみんな、“どうして私は今安らかな気持ちになれないのか”という物語だ。エゴはあなたが安らかな気持ちになれるチャンスは今しかないことを知らない。知っていても、あなたがそれに気づいては大変だと恐れている。安らぎはエゴの終わりだからだ。」
「それでは、今安らぎを得るにはどうしたらいいか?今という瞬間と仲直りすることだ。今という瞬間は、生命というゲームが進行している場である。生命は他のどこかで展開することもありえない。今という瞬間と仲直りしたら何が起こるかを、自分には何ができ、どんな行動を選ぶことができるかを、それよりもあなたを通して生命がどう展開するかを見つめよう。生きる秘訣すべての成功と幸福の秘訣は、次の言葉に要約できる。”生命とひとつになること“。生命とひとつになることは、今という時とひとつになることだ。そのときあなたは、自分が生命を生きているのではなく、生命があなたを生きているのだと気づく。生命が踊り手で、あなたが舞踊なのだ。」
「エゴは現実を恨むのが大好きだ。どんな現実か?どんな現実も、である。ブッダはそれをタタータ、あるがままの人生と呼んだ。あるがままの人生とは、あるがままのこの瞬間でもある。あるがままの人生、あるがままのこの瞬間に対抗する、それがエゴの特徴の一つだ。それによってネガティブな状態が創り出され、そのネガティブな状態のおかげでエゴが肥え太り、エゴが大好きな不幸が生まれる。そうやってあなたは自分も他人も苦しめるが、自分ではそれに気づかないし、自分がこの地上に地獄を創り出しているとも思ってもいない。知らずに苦しみを創り出す、それが無意識な生き方の本質だ。完全にエゴに囚われた生き方である。自分を認識できず、自分が何をしているのかもわからないエゴの無能力さは驚異的で、まさに信じ難い。エゴは他人を糾弾するが、自らがそれと全く同じことをしているのに気づかない。その事実を指摘されれば怒って否定し、巧みに反論し、自己正当化のために事実を歪曲する。個人もそうだし、企業も政府もそうだ。そしてすべての対抗に失敗するとわめき散らし、物理的暴力まで振るう。海兵隊を派遣する。そう考えると、十字架上のイエスの”彼らをお許しください。自分で何をしているかわかっていないのです。“という言葉がどれほど深い智慧から発していたかがよくわかる。」
これは、遠くでも、身の回りでも、いろいろ見聞されますね

他を糾弾したくなった時点で、これはエゴのしわざだと気づいてください。
大いなる存在は、包み込むだけで糾弾などしません・・
その糾弾の矛先は必ず自分に向かいます
エネルギーは、必ず出した者に戻ってきます

身体的にも、恐怖や怒りで作り出されたアドレナリン等は、自分の細胞を傷つけていきます・・・
エネルギー・宇宙の法則は単純です






