ユダヤ人の定義

 ユダヤ教では、トーラー(モーセ五書)、ネビイーム(預言書)、クトビーム(諸書)の3部、さらに、旧約聖書のほかにモーセが伝えた口伝律法であるタルムードも聖典とされています。

 現在では、全世界に1,500万人を超えるユダヤ教徒が存在しており、国外のユダヤ教徒がイスラエルに移民することを認める「帰還法」によると、ユダヤ人の母親から生まれた者、あるいは正式な手続きを経てユダヤ教に入信した者がユダヤ人であると規定し、現在、異なる民族的特徴を持つ2つのユダヤ人集団が存在しており、ヘブライ人やセム人と表記されることもあります。
 

 駐日イスラエル大使館のホームページによるとイスラエルのユダヤ人の20%は全戒律を守ろうとしているのに対し、60%は個人の選択や民族の伝統に従って、幾つかの戒律を組み合わせて守り、残りの20%は基本的に戒律には従っていないということです。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ユダヤ人に似た埴輪

 

■ユダヤ人の2大集団とは

1,『アシュケナジー系』ユダヤ人

 7世紀、コーカサスからカスピ海地方にあった中央アジアの草原地帯を出自とするアーリア系白人国家 「ハザール汗国」は、キリスト教国とイスラム教国に挟まれます。

 キリスト教やイスラム教も『旧約聖書』が共通の聖典であったため、『旧約聖書』を柱とするユダヤ教に改宗して両国との対立を逃れます。

 このような経緯から、ハザール人は血統的ユダヤ人ではなく、ユダヤ教に入信したため「ユダヤ人」と定義されています。

 このユダヤ教に改宗したハザール人は『アシュケナジー系』と呼ばれるヨーロッパ系ユダヤ人集団であり、ユダヤ人口の90%を占めるといわれています。

 

2,『スファラディ系』ユダヤ人

 もう1つはセム族系でアジア・アフリカ系ユダヤ人集団となります。

 中世ヨーロッパの時代、スペインに移り住んでいたことから、スペインを意味する「スファラディ系ユダヤ人」と呼ばれています。

 1492年、イベリア半島に残る最後のイスラム政権を滅ぼしたスペインにより、ユダヤ人は南ヨーロッパや中東、北アフリカなどのオスマン帝国の領域に移住します。

 ユダヤ人のうち、スファラディ系は正統派と呼ばれ、厳格で律法主義的な慣習の中に生きている人々が多いそうです。

 旧約聖書の「創世記」では、アブラハムの子のイサク、イサクの子ヤコブ(ヤコブの別名がイスラエル)が後の古代イスラエル人の祖先であるとし、この系統をセム系ユダヤ人、セファルディと呼んでいます。

 

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』アダムの系統

 

古代のユダヤ人

 旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、現在のイラク南部、メソポタミアにあるカルデアのウルから部族を引き連れて、パレスチナ付近の「カナンの地」に移住したとされ、「渡り歩く人」:ヘブライ人と呼ばれた彼らは、この付近で遊牧生活を続けました。

 

 紀元前1,700年から紀元前1,601年ごろ、イスラエル人はヤコブの子のヨセフの時代に古代エジプトの地で奴隷とされました。 

 その後、エジプト第19王朝ラムセス2世(在位紀元前1,279~紀元前1,213)の時代に、エジプトのヘブライ人指導者モーセを中心に約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たします。(出エジプト)。

 紀元前10世紀ごろ、古代イスラエル人はヤハウェ信仰を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国しました。

 

■南北イスラエルの分裂

 紀元前930年ごろ、ソロモン王が亡くなり、支族間の抗争によりイスラエル12支族の統一体制が崩れ、北のイスラエル王国に10支族と、南のエルサレムにユダ王国2支族が分裂し、この南ユダ王国の2支族が後に「ユダヤ人」と呼ばれるようになります。

 紀元前721年、北イスラエル王国の首都サマリヤはアッシリアによって陥落し、アッシリアのサルゴン2世はサマリヤのイスラエル人指導層などを奴隷として連れ去りまたは追放して、その土地にメソポタミアなどからの異民族を移住させます。

 ここに北イスラエル王国は滅亡し、このとき故地から引き離され、「離散(ディアスポラ)」されたイスラエル人たちは後に「失われた十支族」と呼ばれるようになりました。(アッシリア捕囚、失われた十支族)。

 一方、紀元前586年、南のユダ王国は新バビロニアの侵攻に遭い、ユダ王国が滅亡して多くの人民が捕虜としてバビロンに囚われます。(バビロン捕囚(ほしゅう))。彼らはユダ王国の遺民という意味でユダヤ人と呼ばれるようになりました。

 紀元前539年のオピスの戦いで、アケメネス朝ペルシアによって新バビロニア王国が滅亡すると、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し復興されました。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』失われた12支族

 

 

■元祖古代イスラエル12支族と失われた10支族

 『聖書』の記述では、イスラエル12部族とは、以下の者達を祖とする部族のことで、(南部ユダ族)と記載されていないものが、失われた10支族となります。

 

〇父のヤコブ、母のレア(ラバンの娘)から生まれた支族

①長兄ルベンの末裔ルベン族

②次兄シメオンの末裔シメオン族

③三男レビの末裔レビ族(南部ユダ族

④四男ユダの末裔ユダ族(南部ユダ族)

⑤五男イサカルの末裔イサカル族

⑥末弟ゼブルンの末裔ゼブルン族

 

〇父のヤコブ、母のジルパ(レアの下女)から生まれた支族

⑦兄ガドの末裔ガド族

⑧弟アセルの末裔アセル族

 

〇父のヤコブ、母のラケル(レアの妹)から生まれた支族

⑨ベニヤミン の末裔ベニヤミン族(南部ユダ族)

 

〇父のヤコブ、母のビルハ(ラケルの下女)から生まれた支族

⑩住兄ダンの末裔ダン族

⑪弟ナフタリの末裔ナフタリ族

 

〇父のヨセフ(ヤコブとレアの妹ラケルの子)、母のアセテナ(エジプトの祭司ポティ・フェラの娘)から生まれた支族

⑫兄マナセの末裔マナセ族

⑬弟エフライムの末裔エフライム族

 以上を合計すると13支族となりますが、「イスラエルの各支族の長12人は人口調査をした後にレビ人は調べられなかった」とあり、ヤハウェに仕える祭司職であるレビ族については領土が無く各地に分散して暮らしていたため、これを数えず12となりました。

 

ユダヤ人のハプログループ

■父系Y染色体J系統

 現代の全世界のユダヤ人のY染色体は J系統が約30%E系統が約20~30%R系統が約20~30%残りがその他になります。

 

 ユダヤ教の世襲祭司職であるモーセの兄・アロンの子孫、レビ族、コーヘン家のY染色体は、ハプログループJ1a1b1b1a2a1a1a4b1a(J-L147.1*, subclade-Z18271)となり、中東系に起源を持つJ1(イシュマエルの子孫)は20%、J2(イサクの子孫)ではセファルディーユダヤ人29%、アシュケナジーユダヤ人24%となっており、このJ系統は アブラハム(ハプログループJ-M304)の子孫と考えられ、セム からエベルへと続くユダヤ人の男系子孫に属する血統であることが明らかとなったそうです。

 現在のイスラエル国はJ2が 20~30%を占め、レバノンで 30-40%、ヨーロッパで 5~10%、その他に広く分布しています。

 日本ではこの系統は見られていません。

 

■父系Y染色体E-V22系統  

 中近東のDEから、E系統ユダヤ人と東アジアD系統に分離されたのは、5万年から6万年前と言われ、その後E・Dの交流の形跡はないそうです。

 全世界のユダヤ人の20~30%がE系統で、スファラディ、アシュケナジー両者に共通しているそうです。

 E系統は「イスラエルの失われた10部族」の故郷「サマリヤ」で見られ、アフリカ、ナイル川沿い、地中海沿岸に分布するハムの子孫(クシュ、ミツライム、プテ、カナン)や「サマリヤ」のモーセの系統レビ族の祭司、また、10支族の末裔とされるアフガニスタン、パキスタンの「パタン族」、そして、「ナフタリ族」「イッサカル族」の末裔との伝承があるウズベキスタンのウズベク・ユダヤ人にも、約28%みられ、「ダン族」に属するとされる「エチオピア・ユダヤ人」も約50%がE系統となります。

 

日ユの大きな相違点

■神仏に関する考え方

 モーゼ の十戒のなかに、主が唯一の神であること、偶像崇拝の禁止、神の名をみだりに唱えてはならないことなどイスラエルに10の戒めを与えましたが、日本人はクリスマスに教会へ、 大晦日にお寺へ、初詣には神社に行って一年の無事を祈り、何の疑問ももたずに行うことができます。

 前述のユダヤ教の教義が日本に浸透しているとは思えません。果たしてユダヤ人は日本にやってきてユダヤ教の影響を広めていったのでしょうか?

 

 

■父系Y染色体ハプログループの相違

 ユダヤ人はJ系統が約30%、E系統が約20~30%、R系統が約20~30%に対して、日本人は日本固有のD系統中P37系統約35%、O系統P31約32%、O系統M122約20%、日本固有のC系統C-M8約5.4%、C系統C-M217系統で約3%となり、日本国内でユダヤ人と思われる古人骨の発見もないようです。

 今後の古人骨の発掘に期待されます。

 

イスラエルとの類似点

 一方古代イスラエルと日本の文化伝統の類似点も指摘されるところです。

 

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』伊勢神宮の菊紋とダビデ星

 

■伊勢神宮のダビデ星

 伊勢神宮の外・内宮の明かり窓の下にはユダヤの紋章と思われる「ダビデの星」が彫られており、伊勢神宮の別宮、志摩国一宮である伊雑宮((いざわのみや)の正式な紋章でもあり、「イザワ」と読むその言葉の響きが、ヘブライ語で「神の救い」を意味する「イザヤ」に似ています。

 これはヘブライ語の「イシャ」、また「イェシュア」という、「助け」、「救い」を意味する原語に由来しているといわれ、「医者」という日本語もヘブライ語に起源があるのかもしれません。

 

■神社の作り

 神社には手を洗い、口をすすぎ、禊をする清めの場所、手水舎(てみずや)が設けられ、進むと、檜で造られた拝殿と本殿の聖所があります。

 イスラエルの神殿でも、幕屋に入る前に祭壇のそばにある洗盤の水で、まず手足を洗い、その奥は檜で造られた聖所と至聖所の2つの間に分かれています。

 また神官が着る真っ白でフサのついた着物と、古代ユダヤ教における祭司の服装も良く似ています。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』祇園祭の孟宗山ラクダ行

 

■祇園祭

 祭りの「山車」を引っ張る際に、「オイサ」、「エィサ」、「イッサ」と叫びます。この「エィサ」は、ヘブライ語で「救い主」を意味する「イサ」とほぼ同じ発音で祇園祭や多くの祭りにおいて、神が知らぬ間に讃えられてきたことがわかります。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』アークと神輿

 

■アークと神輿

 イスラエルの失われた10支族の一部が、アークと共に日本に渡来したとも噂され、日本のお祭りで見られる、お神輿にそっくりなのです。

 

■タガーマハラン(高天原?)

 旧約聖書の創世記には人類は洪水の際、神の哀れみによってノアとその親族だけが箱舟に乗って難を免れたことが書かれています。

 150日の後には水が減り、箱舟は7月17日にアララテの山に止まりました。

 ノアの箱舟が着地したアララテ山は、イスラエルの東方、タガーマ州のハランにあり、しかもハランはイスラエルの祖先、アブラハムの故郷の地でもありました。

 紀元前7~8世紀、イスラエルの国家が崩壊した直後に国家を脱出した民は、まずイスラエルの東方にある、太陽が昇る東の島々に向けて歩みだす原点となる高原、「タガーマハラン」に結集したのではないでしょうか?

 古事記の「天地の初め」に書かれている高天原にとても似ているように思われます。

 

■神武天皇のヘブライ語読み

 北イスラエル王国滅亡から62年後の紀元前660年、日本の初代天皇「神武天皇」が即位し、日本を建国した年と言われています。

 神武天皇の正式名である「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は、ヘブライ語で「サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」と読めるのだそうです。

 この時点で、イスラエル民族が来日しているとすると、人骨が発見されていないのはなぜなのか。すべては古墳に納められているのではないかと推測されます。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』天狗の額に兜巾

 

■山伏や天狗の特徴

 山伏や天狗は額に黒い形の兜巾(ときん)をつけ、ユダヤ人はお祈りのときに、額に律法の一部を写したものを入れた黒い小さな箱(テフィリン)を着けます。

 山伏はほら貝を吹きますが、ユダヤ人のお祭りのときに吹かれる羊の角笛の音は、ほら貝の音に似ています。

 山伏や天狗は虎の巻(トーラーの巻)を持っており、古代イスラエル人は、シナイ山で神から律法を指す「トーラー」を授かりました。

 

 

ヘブライ語(ヘブル語)と日本語の類似

スメラ・ミコト サマリヤの大王

アキナウ(商う) アキナフ(買う)

アスカ(飛鳥)ハスカー(住居)

アタリ 辺り

アッパレ 栄誉を誇る

アナタ    貴方

アノー    私に応答させてください

アラ・マー どうしたの・何?

アリ・ガト 神への感謝の言葉

アルク(歩く)ハラク(歩く)

イェラネンソーラン ひとりの歌い手が喜び歌う

エッサ 神輿を担ぐときの掛け声で運ぶ、運べ

エッサホイサッサ 持ち上げる

エンヤコラマカショ 私は・布告する・清掃せよ・残徒を

エンヤラヤー 私は・賛美する・ヤーウェを

オイ       泣く

オニ       私を苦しめるもの

オワリ(終わり)アハリ(終わり)

オヤ       禍なるかな

カク 書く

カサ 傘

カタ(肩) カタフ(肩)

カバウ (庇う) カバア(隠す)

カムナシ(神主、長(おさ)

グル       団結する・回る

コオル(凍る、寒さ、冷たさ)

コマル 困る

コラ       自制せよ

サアー! 出発

サヨウナラ 悪魔は追い払われた

サムライ(侍) シャムライ(守る者)

サラバ  さようなら平安なれ

ジャンケンポン! 隠して、準備して、来い

スケベー 肉欲的に寝る

スム 住む

スワル 座る

ソーラ(ン) 注目せよ、敵、はしご

ダベル しゃべる、話す

ダマレ    沈黙を守れ

ダメ(駄目)タメ(ダメ・汚れている)

チョイ 前進する、行進する

ツモル 積もる

ツラー 辛い

ドシン    肥満

ドスゴイ 踏み落とせ・異教徒を

ドケイッシュ 神の力で押しのけて

ドッコイセー       粉砕せよ・蝦夷(カイ・エブス)・敵を

トリイ 門

トル 取る

ナマル 訛る

ニオイ (匂い) ニホヒ(匂い)

ニクム 憎む

ヌシ 主、長

ノコッタ 征服した

ハイ       生きている、居ます

ハカル 測る

ハッケヨイコッタノコッタ 投げつけよ、やっつけよ、投げたぞ!やったぞ!

ハッケ・ヨイ 投げうて・よろしく

ハデカシェム 名を踏みにじる

バレル はっきりさせる

ヒリ       痛みを感じる

ヘスル 減らす

ホル 穴

ホレブ 滅ぶ

マズ       何?・これは

マソリッ 祭り

ミカドル(帝) 高貴なお方

ミコト (尊) マクト(王、王国)

ミソギ (禊ぎ)ミソグ(分別・性別)

ミツ 果汁

ミヤ 宮、神様のいる場所

ヤートコセ・ヨーイヤナ    ヤハウェは・投げた・敵を・ヤハウェは在る・憐れみ深く

ヤ・ウマト 大和、神の民

ヤケド 火傷

ヤサエ エンヤン まっすぐ進む

ヤッホー! 神様

ヤドゥール 宿る

ヤリ 槍、射る

ヤーレン 歌って楽しくなる

ユルス 許す、取らせる

ヨイコラマカセ    栄光の・民は・清掃した・敵を

ヨイショ 神・ヤハウェが助けてくださる

ワッショイ 神が来た

ワラベ(子供)ワラッベン(子供)

ワル       凶悪な者

 

■ヘブライ語で読み解く君が代の歌詞

クムガ・ヨワ テオニ ヤ・チヨニ サッ・サリード イワ・オト・ナリァタ コカノ・ムーシュ・マッテ

(立ち上がれ シオンの民 神に選ばれし者 喜べ人類を救う民として 神の預言が成就)

 

火葬された遺骨からDNAを抽出できるか

 火葬された遺骨からは、細胞内の核にあるDNAは熱に弱く、千数百度の温度でDNAが破壊されてしまうために遺体からのDNA抽出はできません。

 

■火葬の歴史(700年に始まる)

 古墳時代後期、6世紀ごろには火葬は行われていたようで、大阪府堺市中区東山、陶器北、平井に分布する「陶器千塚古墳群」の一部である「カマド塚」に火葬の痕跡があります。

 また、日本書紀に法相宗の開祖である道昭が700年に最初火葬されたと記されており、702年崩御の持統天皇は天皇としては最初の火葬となりました。それ以後、一部の僧侶や貴族などの間で火葬が行われるようになりました。

 その背景には釈迦が火葬されたことにちなんでいるとされています。

 

渡来人

 4~7世紀ごろに中国や朝鮮半島から日本に移り住んできた人々、およびその子孫のことを渡来人と呼んでいますが、稲の研究から、朝鮮半島を経由しないで、直接、長江流域の稲作地帯から伝来したとする説が有力となっています。

 新羅からきて土木技術や農業技術に優れ、各地に灌漑設備を整えて土地の開墾を積極的に行い、養蚕や機織りを広めた秦(はた)氏。百済からやってきて海外向け手紙の作成など文書担当、外交担当などを行い、製鉄や土器の生産技術を伝えたとされている東漢(やまとのあや)氏。文筆や算術に優れて「論語」を持ち込み、文字を伝えたとされる西文(かわちのふみ)氏などが有名です。

 

「有名人のハプログループ」のサイトによると聖徳太子の側近として活躍した秦河勝のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1a(O-M133)と推定されるとありました。

 

日本人はどこからやってきて、ユダヤ人との関わりはどのようなものだったのか、引き続きの発掘や研究に期待したいと思います。

 

下記「遺伝子調査から読み解くアイヌ民族と大和民族(和人)」シリーズも参照願えれば幸いです。

https://ameblo.jp/hikarugenjii/entry-12742914106.html?frm=theme

https://ameblo.jp/hikarugenjii/entry-12745803489.html?frm=theme