明治・大正時代に北海道に移住した人を都道府県別でみると、青森県、新潟県からそれぞれ約5万戸。秋田県、石川県、富山県がいずれも約4万戸。宮城県、岩手県はいずれも約3万戸。以下、山形県、福井県、福島県、徳島県、東京都と続きました。
移住してきた多くの人達は道央の石狩国に入植し、それから道南圏、道東や道北に移動するパターンが多かったようで、函館や余市、小樽、ニセコ、真狩村などの後志(しりべし)地域の道南圏にはそれぞれ約7.5万戸の入植があったようです。
一般的に、北海道の方言は「渡島半島の長万部町から南の方言」と「沿岸部の海岸部方言」と、それ以外の「内陸部方言」に分かれていると言われていますが、北海道弁は前述のように、内地(ないち:本州)の方言が永年に渡って混ざり合いながら変化してきました。
百万ドルの函館の夜景 我が家は左の山の下側にあります。
私の亡父母二人とも新潟県の網代浜の出身者で、父は船主をやめて、兄を頼って函館市五稜郭の家に居候しました。1949年11月14日のことで、私が2歳の時でした。
1953年2月21日、父は元町に独立転居します。私が5歳3か月の時で、以来、私は18歳の高校生まで16年間ほど函館に住むようになり,函館弁まみれとなりました。
■和人の北海道移住の概略
■飛鳥時代 (592年~710年)
『日本書紀』によると蝦夷地(えぞち)と呼ばれた北海道への和人・日本人の進出は飛鳥時代の阿倍比羅夫による蝦夷(えみし)、粛慎(みしはせ)討伐の頃まで遡ると言われています。
658年4月に飽田(アギタ=秋田)・渟代(ヌシロ=能代)の蝦夷を降伏させ、有間浜(青森県の十三湖中島付近)で渡島(わたりしま:北海道の古語)の蝦夷を饗応。
659年3月後方羊蹄(シリベシ)(余市、札幌、千歳各郡、尻別川流域)に至り、当地に政所を置き、郡領を任命。
660年3月に道南の後志利別川(しりべし/としべつがわ:瀬棚町から日本海へ注ぐ)の辺で、渡島の蝦夷の求めに応じ、粛慎を幣賄弁島(へろべのしま)に追戦。
■鎌倉時代(1180年~1333年)
遠流(おんる)の配所は,724年の「格」によって,「伊豆」「安房」「常陸」「佐渡」「隠岐」「土佐」の6国でしたが、鎌倉幕府草創期から夷島(えぞがしま)が加えられ、蝦夷地は重犯罪人の流刑地となり、流人の送致、監視や蝦夷との交易にも関与していたと推定されている「蝦夷沙汰職」の時代を迎えます。
1189年、源頼朝が義経を匿った奥州藤原泰衡を攻めた際に、残党が多数蝦夷島に逃げ込み、また、糠部(ぬかのぶ:青森県東部から岩手県北部)や津軽の人々が道南の上ノ国付近まで逃れたと伝わります。
吾妻鑑1216年6月の条には遠流の場所として「凶賊以下強盗海賊の類50余人を蝦夷島に流した。」1235年にも「夜盗盗賊の末輩(まつばい)に蝦夷地流罪を命じた」と見えます。
札幌を含む道南地域
■室町時代(1336年~1573年)
1443年、蝦夷代官で津軽豪族の安藤盛季(もりすえ)は南部氏に敗れて蝦夷地へ逃れます。
1454年には安藤氏の一族で津軽十三湊を拠点とした海の豪族安東政季(まさすえ)が再び南部氏に追われ、河野政通、相原政胤、武田信広などを従えて渡道し、配下の武将を12の館に配置し(道南十二館)蝦夷地の実質支配を始めます。
1457年、コシャマインに率いられたアイヌの蜂起で館の内十館が落城しますが、1458年、上之国の花沢館(檜山郡上ノ国町)館主で上国守護職、蠣崎季繁(かきざき すえしげ)の女婿である武田信広が鎮圧します。この頃の蠣崎氏は前述安東氏の支配下に過ぎませんでした。
1590年、蠣崎慶広は豊臣秀吉の奥州仕置に主家の安東氏に帯同し、秀吉との謁見で安東氏から独立した大名として認められ、全蝦夷地の支配権を確立します。
ウスケシ館の位置図(元町公園)
このとき、箱館の周辺を「下之国」、上ノ国や江差の周辺を「上之国」と呼んでおり、やがて、十二館の一つで箱館にあった「宇須岸(うすけし)館」(元町公園内に「亀田番所」が置かれ、1802年箱館奉行庁舎、後、北海道庁函館支庁庁舎が置かれる)が道内の中心地となります。
また、箱館・江差・福山(松前)は当時の道内の3大湊として発達しており、道南に多くの人住んでいました。
■1501年から1700年
16世紀頃から 17世紀末期の頃には廻船の北前船が活躍し、寄港地であった道南地方は船頭や船乗りたちが使う北陸方言や近畿方言の影響をうけます。
1598年、松前藩は徳川家康へ「蝦夷地図」を献上し臣従の意を示し、家康の旧姓「松平」と前田利家の「前」をとって蠣崎氏から松前氏に改め、家康からアイヌ交易の独占権を認められた松前(旧姓蠣崎)慶広は松前藩の初代藩主となり、渡島半島の南部を和人地、それ以外を蝦夷地として通交を制限します。
米がとれない松前藩は漁場およびアイヌとの交易地域である商場を設け、そこでの交易権を知行として家臣に分与する「場所請負制」を行うことにより、近江商人などの請負商人や出稼ぎ漁業民、飢饉を逃れた東北の人々が集落へ居住するようになります。
中心は松前藩城下町の松前、鰊(にしん)漁の江差、幕府蝦夷地経営拠点の箱館(函館)でした。
1678年、道南の江差は檜山を開いて奉行が置かれるようになり、1758年には家数600軒、問屋が13軒ほどあったと伝わります。
江差町は、江戸時代中期から鰊漁の基地として栄え、本州からはヤン衆や鰊成り金目当てのはなれ瞽女(ごぜ)や座頭・ボサマたち(一人で、三味線で門付けをする芸人)が多数渡ってきました。
このように、江戸時代までには渡島半島南部の殆どは和人地化されていき、和人の定着が早かった地域では、青森、秋田などの北奥羽方言が濃い海岸部方言(浜言葉)が成立します。
■明治時代(1868年~1912年)
当時の人口、産業の中心は、箱館府が置かれていた箱館(函館)でしたが、位置が南に偏りすぎているため、北海道の中央部に本庁を設けることとし、1871年5月に開拓使庁が札幌に移り、廃藩により家禄を失った旧士族階級の家臣が次々入植します。
開拓長官黒田清隆は1872年から総額1000万両の国費をつぎ込む「開拓使10年計画」を決定し、1873年に北方警備と開拓とを兼任させる屯田兵制を開始すると、東北地方の士族や東北地方、北陸地方などの平民が流入します。
明治10年代になると、北海道開拓がさらに奨励され、旧有志士族による結社移民が行われ、明治20年代になり開拓予定地の区画が進むと、地主制の発達により小作化した貧農が新天地を求めて北海道移民のブームが始まり、開拓地も石狩地方から上川地方へ、さらに十勝地方へと広がっていきます。
明治30年代は北陸地方からの移住者が最も多く、明治40年代以降は東北地方からの移住者が増えてきました。
■大正時代
大正時代にかけて冷害にみまわれた東北地方の飢餓で逃れてきた離農者の移住も目立つようになり、出稼ぎ漁民の定住化、農業開拓事業、箱館開港などで人口が増加していきました。
■函館のこと
本州から渡ってきた人々が函館山のふもとなどに住みはじめたのは14世紀(1301年から1400年)ごろだそうで、その後、明治政府は函館を北海道開拓の前進基地と位置づけ、近代化を推進します。
1879年には、当時のイギリス領事ユースデンの呼びかけで函館公園が開設され、1889年には、国内で2番目の水道が開設されます。
市内には外国人居留地が設けられ、私の住んでいた元町界隈にはキリスト教系の女学校(聖保禄女学校1836年設立、後の函館白百合学園)や教会、基坂(もといざか)には区役所・警察署・税関、現在の市電通りである大通りには銀行や大商店が建ち並び、函館山の麓となる西部地区は賑わいをみせました。
1892年4月25日、函館丸井今井呉服店は繁華街末広町の南部坂下の一角にあった呉服店「山丸二菊池呉服店」を買収し、1923年、百貨店の営業を開始。1934年の大火後には鉄筋コンクリート構造地下1階地上5階建で塔屋2階建として復興。
1907年の大火は、約1,000人の死傷者を出し、町の中心部の大半を焼き尽くしました。しかし、市民の力で速やかな復興が成し遂げられ、旧函館区公会堂、旧相馬邸、旧イギリス領事館、カトリック元町教会、ハリストス正教会などの歴史的建造物の大半は、この大火以降に建てられます。
十和田丸
1908年、本州と北海道を結ぶ青函連絡船が開通し、函館は北海道の玄関口となります。
1920年代には北洋漁業が始まり、大船団の出港地として、函館は未曽有の繁栄をとげます。
1933年には人口が20万人を超え、国内で9番目の大都市になりました。この時期に、函館港一帯には巨大な金森赤レンガ倉庫群が建ち並びます。
1934年3月最大規模の火災が発生し、死者2,166名、焼損頭数11,105棟。市街地の三分の一を焼失。
1935年大火による市民の士気を高めるため「函館港まつり」が開催される。
1958年には函館山ロープウェイが開設され、市街地の夜景は、ナポリ、香港とならぶ「世界三大夜景」として多くの観光客を楽しませます。
1964年には五稜郭タワーが竣工、五稜郭の星形を一望できるようになりました。
1988年の青函トンネル開業に伴い、青函航路は終了し、2016年3月、その青函トンネルを通って北海道新幹線が開業し、東京から4時間台の陸路の旅が現実となりました。
戦後、函館は観光都市として歩んでいきます。
■函館の人口増減
1889年、函館区が道内1位の52,909人で全国16位、札幌区16,876人で全国79位でした。
1920年、1位函館区144,749人、2位小樽区108,113人、3位札幌区102,580人、4位旭川区61,319人、5位室蘭区56,082人。
1950年、札幌市313,850人、函館市228,994人、小樽市178,330人、旭川市123,238人、室蘭市110,443人。
2005年、札幌市1,880,863人、旭川市355,004人、函館市294,264人、釧路市181,516人、苫小牧市172,758人と、人口は増えましたが順位を後退させます。
因みに2035年人口予想では少子高齢化の要因もあり、札幌175万人、旭川26万人、函館19万人、釧路12万人、苫小牧14万人と減少となるようです。
冬の函館 湯の川のホテルから函館山を望む
■函館弁、過去形の話し方の不思議
函館では「おはようございました」、「お晩でした」(こんばんは)や、電話での応対時に「はい、○○(自分の名前)でした。」と過去形が用いられます。この用法は青森、宮城、山形など東北地方、また、徳島、山口でもみられるようです。
また、全国的に、主に接客業の応対の中で「〜でよろしかったでしょうか」「お決まりでしたか」などの過去形の用法も見受けられました。
箱館では昔、イカ売り屋や御用聞きが各家庭を回っていて、注文する品物がなかった場合、「今日はよかったです」と過去形を使ったものです。
この過去形の話し言葉は私見ですが
1,現在進行形なのではないか
2,断定的になるのを避け、なるべくソフトに話そうと気遣う北海道独特の表現ではないかと思えるのです。
例えば、一般的に「♪春が来た、春が来た、どこに来た♪」という言葉のニュアンスは、春が過去形としてすでに終わって、今は夏という意味ではなく、今まさに春が進行しているという意味になります。
「お晩でした」「堀でした」も正にお晩の時間であり、今話しかけている人物は「阿部」ではなく「堀ですよと」いう現在進行を表現した言葉で、「お晩です」「堀です」と断定的な物言いを、ソフトにオブラートする言い回しなのではないでしょうか?
それでは、東北方言、北陸方言、近畿方言などが雑多に混在して出来た函館弁の一部をご紹介します。函館弁に続くカッコ内は標準語訳となります。
■あ
あずましい(気持ちよい、落ち着く)
あだりめだ(当たり前だ)
あっこさ(あそこに)
あったもでね(考えられない。ありえない)
あったらもの(あんなもの)
あっぺこっぺ(あべこべ)
あどはだり(再度ねだる)
あばぐち(悪たれ口)
あべ、あんべ(行こう)
あめる (腐敗する)
あやわるい(恥ずかしい)
あんばい・あんべぇわるい(調子が悪い)
■い
いいっしょや(良いよ)
いが(烏賊・いか)
いがったねぇ!(良かったね)
いがねが(行かないか)
いぐがな (行くかな)
いじるな(触るな)
いずい(きつい、痛い、身体に違和感がある)
いだましい、いだわし(もったいない)
いっちょまい(一人前)
いっとぎま(ちょっとの間)
いふりこく(恰好をつけ、イキがること)
いんでないか(が)い(良いですね!)
■う
うじ(家)
うした(違う)
うずぐ(病気が移る)
うそこぎ(嘘つき)
うだで(ものすごい。たくさん)
うだでもんだ(凄いものだ)
うめる(薄める、)
うるかす(水に浸して柔らかくする)
うるげる、うるける(ふやける)
うんずげる(甘える)
うんだんだ(そうだよね)
函館ベイエリアのサンタクロース
■え
えが(いいかい)
えさす(江差町)
えっぺ(一杯、たくさん)
えふりこき、えふりこぎ(見栄張り、いい格好する)
えらすぐね (可愛げない。ずるい)
■お
おがしい(変だ)
おがる(生える/成長する)
おくち、おぐち(道南より北の地)
おごる(叱る)
おせで(教えて)
おっかね(恐ろしい、怖い)
おっさん(坊さん、住職)
おっちゃんこ(座る、正座)
おど(父)
おどごぶり(男っぷり、男前)
おなご(女性)
おなごぶり(女っぷり)
おばんでした(今晩は)
おべだふり(知ったかぶり)
おめ(あなた、お前)
おめだぢ(お前達)
おめだのおんちゃ(お宅の弟)
おやき(大判焼き)
おらだきゃ(俺は)
おらんど(私達)
おわ(私)
お晩でした(こんばんは)
■か
がおる(弱る)
かが(妻)
がさい、がっちゃい(できが悪い、程度の低い)
かじられる(犬・猫にかまれる)
かしがる(傾く)
かすべ(エイという魚)
かだくら(頑固)
かだせで(仲間に入れて)
かだって行く(着いて行こう)
かたびっこ(左右非対称、左右が不揃いな状態)
かだる、かでる(仲間に加わる)
かぢゃっぺねぇ(物足りないよね)
かちゃます(かき回す)
がちゃめぎ(ぬかるんだ道)
がっちゃき(痔)
かっちゃく(ひっかく)
がっつら(すごい/ すごく)
かっぱがす(ひっくり返す)
かまして(かき混ぜて)
がめる(盗む)
がんがん(一斗缶などの空き缶)
がんび(白樺の木またはその皮)
がんべ(おでき、かさぶた)
函館郊外大沼公園 正面は駒ケ岳
■き
汽車(電車)
ぎられだ(盗まれた)
■く
くだく(両替する)
くまりきって(からまる)
■け
経済しょう(節約しましょう)
ケーキ(アイス)
げだ屋(靴屋)
げっぱ / げれっぱ(最下位、またはその人)
けろ(あげる/くれる)
■こ
ごしょいも(ジャガイモ)
こちょばす/もそこす/もちょこす(くすぐる)
こったらべっこ(これしか)
ごみステーション ( 公共のごみ捨て場/ごみ集積所)
ゴミを投げる(ゴミを捨てる)
こわい(体が疲れた、体が辛い、息が苦しい)
ごんぼほる(意地を張る)
■さ
サビオ(絆創膏)
されよ~(危ないから どいていて)
さんかぐぶくろ(レジ袋)
ザンギ(鶏の唐揚げ、など)
■し
じぇんこ、ぜんこ(お金)
自学 (自動車学校、自動車教習所)
したらねー、したっけねー(じゃーねー)
しばれる(凍る、身体の芯まで冷え切る)
しゃっこい(触覚・味覚的に冷たい)
しゃっぽ(帽子)
じゃら銭(せん)/ だら銭(小銭)
じょっぱる(強情を張る)
じょっぴんかる(鍵をかける)
函館空港屋上から函館山を望む
■す
すす(寿司)
スンハゴダデホグトエギ(新函館北斗駅)
■せ
せばな!(じゃーねー。ばいば~い)
■そ
そんどだ(大変な状況を表す)
■た
たいして(すごく)
だはんこぎ(駄々をこねる)
だんべ(女性器)
■ち
ちゃかし(そそっかしい。おてんば)
ちゃっこい(小さい)
ちゃっちゃと(早く)
ちょす、ちょうす(触る、いじる、いじくる)
ちょっきり(ぴったり/ちょうど/きっかり)
■つ
つっぺ(詰め物、突っかい棒)
■て
手袋はく(防寒用の大きな手袋をつける、はめる)
デレッキ(石炭ストーブに使う火掻き棒)
テンを切る(トランプをシャッフルする)
■と
とうきび(とうもろこし)
■な
なして(どうして)
なまら、なんまら(とても、かなり)
なんもなんも(いやいや。こちらこそ)
■ぬ
ぬったくる(塗り潰す)
■ね
ねまる(座る)
■は
バガの干したえんたもんだ(ホントどうしようもないバカだよ)
ばくる(交換する)
はごだで(はこだて)
はたく(人を叩く、殴る)
はっちゃきになって、はっちゃきこいて(がむしゃらになって、無我夢中で)
はんかくさい(あほらしい、愚かだ、バカ)
■へ
へくさい(カッコ悪い、ダサい)
ぺったらこい(薄い、平べったい)
へっぺ(性交を表す隠語)「-こいたで「セックスした」という意味
へば(それでは)
■ほ
ほいど(乞食、強欲、意地汚い人)
ほいどたかり(食いすぎ)
ぼっかける(追いかける)
ぼっこ(比較的短い棒、棒切れ)
ほどかさらない(ほどくことができない)
ほんずけねい(しょうがない)
■ま
参ってまった(疲れちゃった)
まかす(ひっくり返してちらばってしまう)
■み
みそつゆ(味噌汁)
みったくない(みっともない、不細工だ、醜い)
■む
むったり(毎度)
■め
目がんず!(どこに目ぇつけているんだ)
めんけぐ見える(かわいく見える)
めんこ(先生にひいきされている子)
函館と外人
■も
もそこい/もちょこい(くすぐったい)
■や
やばちい、ばっちい(汚い)
やむ(痛い/痛む)
やんや(あらまぁ)
■ゆ
ゆっこ・湯っこ(風呂)
ゆるくない(大変だ、苦労だ)
■よ
よかべ(いいよ)
よずばれたれ(おねしょをする)
■わ
わ(わたし)
わい(わお!おっと!)
わや(めちゃくちゃ)
■ん
んだ!(そうだよねー)
んでないかい(そうではないのかな)
函館弁如何だったでしょうか?
これらの函館弁の単語と意味を知るだけでも、旅は楽しくなりますね!
せばな!