ここ宮崎県には「いもがらぼくと」「えいこの節」「刈干切唄」「シャンシャン馬道中唄」「じょうさ節」「稗つき節」「夜神楽せり唄」「青島夏祭り唄」「綱引き唄」「綾田の草取り唄」「いだごろ踊り」「祝い唄石の柩(ひつぎ)」「祝いめでた」「臼挽き唄」「奥山節」「尾八重(おはえ)とめ女」「かね吹き唄」「がま出せ節」「木おろし唄」「北川木挽き唄」「京繰り唄」「銀鏡神楽ばやし」「五ヶ瀬刈干切唄」「五ヶ瀬茶摘み唄」「ごぜむけ唄」「米良地つき歌」「椎葉の木おろし唄」「酒谷田の草取り唄」「椎葉の秋節」「椎葉駄賃つけ唄」「椎葉茶摘み唄」「椎葉春節」「正調ひえつき節」「そうじゃろばい」「大工ふしん唄」「泰平おどり」「高い山から」「高岡じょっさい」「高城嫁とり歌」「高千穂刈干切唄」「高千穂木挽き唄」「茶摘み唄」「夏祭り夏越し音頭」「早調稗つき節」「ばんば踊り」「日南地方の子守唄」「日向木挽き唄」「日向いえこの節」「日向刈干切唄」「日向木遣り唄」「日向田植え唄」「日向山唄」「日向船漕ぎ唄」「槙峰石刀唄」「槙峰水ひき唄」「的射節」「南郷ひえちぎり節」「南郷田植え唄」「宮崎じょうさ節」「宮崎盆踊り唄」「元唄刈干切唄」「紋嫁とり唄」「高千穂臼挽き唄」「安久(やっさ)節」「夜神楽せり唄」など、たくさんの民謡が採譜されています。
 

 古くから伝わる稗つき節は、稗搗(ひえつ)きに使う臼(うす)と杵(きね)を女性と男性に見立て、「臼の中には名所がござる。杵を揃えて搗く名所、ホイホイ・・・・」というエロチックな歌詞で、別名「夜這い節」ともいわれていたそうです。
 

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庭の山椒の木 鳴る鈴掛けて ヨ~ホイ

鈴の鳴る時や 出ておじゃれヨ ♪ >>

と唄われる稗つき節。
 

 1940年(昭和15年)、に現在の歌詞が作られ、1953年(昭和28年)「照菊」の唄で全国的に知られるようになりました。
 

■「椎葉山由来記」による悲恋伝説

 ここでいう「椎葉山由来記」とは、明治維新を迎えた人吉相良(ひとよしさがら)藩2万2千石が椎葉(しいば)を支配したとき、椎葉の由来を山民から聞き取り記録したものです。
 

 時は1185年(寿永4年)壇ノ浦の戦いに敗れた平家の人々は、海・山を経て諸方に離散しました。

 ある一行は険しい山を越え、道なき道を通って、山深いここ「椎葉」にたどり着きます。

 しかし、人の噂は遠くまで伝わるもので、20年後の1205年、源頼朝は那須与一に椎葉一帯の落人狩りを命じます。このとき、与一は病気にかかっていたため、弟の那須大八郎宗久(当時22歳)が向かうことになりました。
 

 椎葉にたどり着いた大八郎が目にしたものは、戦う気持ちを忘れたかのように、一心に畑を耕す平家落人の姿でした。

 「ここにいる者たちはもはや源氏に対する憎しみや敵意など持っていない。」

 「椎葉の平家の残党は一人残らず討ち果たした。」と、頼朝に嘘の報告をして、屋敷を構え、農耕技術を伝えます。

 なお、椎葉という地名は、大八郎が陣小屋を椎の葉で覆ったことに由来するそうです。

 しばらくして、上椎葉の鶴富屋敷を訪れた大八郎に、清盛の末孫にあたる鶴富姫が、湧水を組んで差し上げます。静かな山里で親しく話をするうちに、恋仲となっていきます。
 

■唄の内容と展開

 恋仲となった二人ですが、源氏と平家の敵(かたき)同士です。

 〇忍んできた大八郎が庭の山椒の木にかけられた鈴を鳴らすと、それを合図に鶴富姫が屋敷を出ていきます。その時のことを唄ったのが前掲1番目の歌詞となります。

 〇さあ、鈴が鳴りました。「待ちわびた大八郎様~!」お相手は源氏の侍。「家にいる乳母になんと口実をつければいいのかしら? そうだ!馬に水を上げてきますわと言って出ていけばいいのね」というのが2番目の歌詞となります。二人はこのように逢瀬を楽しみました。

 〇大八郎は鶴富姫と生涯を共にすることを決意し、村中の祝福を受けます。やがて鶴富姫は妊娠します。しかし、1222年大八郎に鎌倉より帰還命令が届きます。

大八郎は「やがて安産をして、男子が生まれたならば下野(栃木県)の国に連れてきなさい。女子の場合はあなたが育てなさい」と言って親子の証拠の品として「天国丸」という太刀と系図を与え、まだ見ぬ子を置いて後ろ髪を引きながら、大いに涙して帰国しました。

このことを唄ったのが3番目の歌詞となります。

 〇その後、鶴富姫は女子を生み、長じて婿を取りますが、その婿が那須下野守を名乗って椎葉を支配します。椎葉に残るお前たちは平家の公達(きんだち)、であり、源氏の大八郎殿の後裔だ。」と唄ったのが4番の歌詞となります。」
 

 隠れ里は九州・四国を中心に全国百か所にのぼるといわれています。

 大八郎の恩義に感じた落人たちは、平家一門の姓を捨て、那須姓に改められたといわれ、椎葉村には「那須」姓が多いということである。
 

 宮崎県の北西部、九州山地の中央に位置する東臼杵郡椎葉村は、北に1,661メートルの扇山、東に1,205メートルの清水岳、南に1,438メートルの尾崎岳や1,290メートルの高塚山、西に1,336メートルの石堂屋など1,000メートルを越える峻険な九州山脈に囲まれた山間の村です。
 

 自然の恵みに囲まれ、焼き畑や狩猟を生業としてきた椎葉の人々。

 「稗つき節」にはこんな悲愛が隠されていたのですね。

https://www.youtube.com/watch?v=EzTkxuT6oo4

流行小唄 (ひえつき節 hietukibusi ) 照菊

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流行小唄 (ひえつき節 hietukibusi ) 照菊

山口俊郎編曲、歌 照菊、三味線 豊吉 豊藤、キングオーケストラ。K