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国歌の成立

世界を見渡すと、「国歌」というのは必ずしも法律に定められるものではなく、国民の間で共通に認識されるものであったり、歴史的に長年にわたり歌われているものなどがあるようです。

このように、国歌を国民の慣習に任せ、正式の法律・勅令・大統領決定・最高議会決定で制定していない主な国として、イギリス・イスラエル・イタリア・インドネシア・エジプト・エチオピア・オーストリア・オランダ・キューバ・スイス・スエーデン・タイ・大韓民国・デンマーク・ニュージーランド・ノールウエー・ハンガリー・フィンランド・ブルガリア・旧チェコ・旧ルーマニアなどが挙げられます。
 

一方、日本における国歌は、長年にわたり慣習として歌われていたものが1999年(平成11年)に法制化されました。
 

 

日本の国歌と解釈

君が代は(私たちの世が)

千代に八千代に(千年、万年の時代を超え)

さざれ石の(小石が成長して)

巌となりて(結束し、協力し合って大きな岩となるように)

苔のむすまで(固い絆で結び継いでいこう)

 
 

現代語超訳

私の愛(いと)しきあなたへ

あなたを愛する心のありようは  未来永劫変わらないことでしょう

小さな愛が 永い年月(としつき)を経て 

紡(つむ)ぎ紡いで やがて大きな慈愛となるように

 

国歌が歌われ、吹奏される機会

現在では国歌を吹奏したり歌われる機会は、次のように多岐にわたっています。
 

■国歌斉唱(こっか せいしょう)

国歌斉唱は国家的行事などで国歌の吹奏のもとで参加者全員が一斉に国歌を歌唱することをいいます。国歌斉唱時は起立・脱帽し、国旗に注目して敬意を払いつつ斉唱するのが一般的となります。

 

■スポーツ以外

全国植樹祭、全国戦没者追悼式、入学式・卒業式、自民党党大会、自衛隊音楽まつりなど。

 

■スポーツ関連

〇国民体育大会、全国高等学校総合体育大会。

〇プロ野球では パシフィック・リーグでの試合、セントラル・リーグの連戦の最初となる試合、日本シリーズの開幕戦、オールスターゲームの開幕戦など。

〇サッカーでは 天皇杯・皇后杯全日本サッカー選手権大会決勝戦、YBCルヴァンカップ決勝戦、FUJI XEROX SUPER CUPなど。

〇プロボクシング では日本タイトルマッチなど。

〇バスケットボール ではBリーグ開幕戦、天皇杯・皇后杯全日本バスケットボール選手権大会決勝戦などなど、多くのスポーツの試合前セレモニーとして国歌斉唱が行われています。

〇また、大相撲本場所や競馬の天皇賞などの大会は表彰式の前に国歌斉唱が行われています。

 

■国歌演奏・吹奏

〇オリンピック金メダル受賞者の表彰時に国旗掲揚に合わせて国歌が演奏されます。

〇また、ラジオ、テレビ局は放送開始と終了の時に国歌を流しています。

 

■国歌独唱

国家的行事などで国歌の吹奏のもとで代表者が単独で国歌を歌唱することをいいます。

国歌独唱を実施するスポーツ大会としては、サッカー(日本代表・Jリーグ)、ラグビー、高校野球、プロ野球(NPBMLB)、大学バスケットボール、プロバスケットボール(Bリーグ・NBAWNBA)、アメリカンフットボール(国内でのボウルゲーム・NFL)、テニス、マラソン、東京優駿(日本ダービー)、フォーミュラ1、ロードレース世界選手権、プロボクシング(タイトルマッチ)、日本選手権競輪などが挙げられます。

 

日本の国歌「君が代」成立までの変遷

このようにいろいろな場面で歌われる国歌はどのように成立していったのでしょうか?

 

日本の国歌は、905年(延喜5年)最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』巻七「賀歌」巻頭に、「読人知らず」として「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」とある短歌を初出とし、「祝福を受ける人の寿命」を歌ったものが時代とともに変遷して「天皇の治世」を奉祝する歌となったといわれていますが、「君」をどのように解釈するかについて、後述のように、諸説あるようです。

因みに、古今和歌集には奈良時代末期に成立したとされる『万葉集』に撰ばれなかった古い時代の歌から撰者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、春歌、夏歌、秋歌、冬歌、賀歌、離別歌、羈旅歌、物名、恋歌、 哀傷歌、雑歌雑体(長歌・旋頭歌・誹諧歌)、大歌所御歌・神遊びの歌・東歌が全二十巻に1,111首収められています。

 

日本における国歌として制定されるまでの大雑把な流れは、

              1869年(明治2年)、軍楽隊教官だったイギリス人ジョン・ウィリアム・フェントンが日本に国歌がないのを残念に思い、作曲を申し出たことが始まりとされています。

     薩摩藩の砲兵隊長・大山弥助(大山巌)が薩摩琵琶の蓬莱山(薩摩琵琶歌で、戦国時代の武将島津忠良14921014日~15681231日:号日新斎(じっしんさい)が作詞したものと伝わる)にある「君が代」を歌詞として選び、

              1880年(明治13年)に宮内省雅楽課が旋律を改めて付け直し、ドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声により編曲し、事実上の国歌として礼式曲「君が代」として採用されました。

              1888年(明治21年)対外的に正式公布を行う。

              1893年(明治26年)の文部大臣井上毅の告示以降儀式に使用される。

              1930年(昭和5年)には国歌とされ定着。

              1999年(平成11年)813日法律第127号「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化されました。日本国国歌は世界で最も短い国歌となります。

 

学習指導要領の変遷

1958年(昭和33年)学習指導要領に「儀式など行う場合には国旗を掲揚し、君が代を斉唱することが望ましい」と記載され、学校で再び日の丸掲揚・君が代斉唱が行われるようになり、これに反対する日本教職員組合(略称:日教組)等との対立が始まりました。

その後、学習指導要領は1978年(昭和53年)「国歌を斉唱することが望ましい」、1989年(平成元年)「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と改訂され、現在は入学式・卒業式での掲揚・斉唱が義務付けられています。

 

国旗国歌訴訟 最高裁判決の要旨 2011年(平成23年)530

卒業式で教職員に国歌斉唱や国旗に向かっての起立を指示した校長の職務命令が、思想・良心の自由を定めた憲法19条に反するかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、「命令には必要性、合理性がある」として合憲とする初判断を示しました。

判決理由で、起立・斉唱を求める職務命令は「個人の歴史観や世界観それ自体を否定するものではない」と指摘しつつ、日の丸・君が代への敬意を表明したくないと考えている人にとっては「思想・良心の自由を間接的に制約する面がある」と認めた。

ただ、卒業式や入学式などの学校行事の円滑な進行の必要性や、学校教育法に基づく学習指導要領で国旗国歌条項が定められていること、全体の奉仕者である公務員の職務の公共性などに照らすと、起立・斉唱は「教育上の行事にふさわしい秩序確保などが目的」と指摘。思想・良心の制約には「許容できる程度の必要性、合理性が認められる」と、4裁判官の全員一致で結論付けられました。

 

 

日本国政府の公式見解(1999年第145回国会本会議第41号)

「君」とは、日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指し、『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。従って、『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる。

君が代の歌詞は我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」と解するのが適当とすると示しました。

 

「国旗及び国歌に関する法律」条文

1999年(平成11年)813日法律第127

(通称:国旗国歌法、日の丸・君が代法と呼ばれ、本条は下記2条のみ)

1条 国旗は、日章旗とする。

2条 国歌は、君が代とする。

(注:日章旗とは日の丸のこと)

 

君が代の「君=きみ」の解釈いろいろ

国歌の初出である、「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」とうたわれる「君が代」の君は、時代によっても、下記のように意味や解釈がいろいろとあるようです。

 

■古事記説

君は古事記のイザナノミコト(男神)、イザナノミコト(女神)のキ・ミから来ているという説。

完全・完璧な神にも1か所欠陥があったようで、イザナキの言う成り余るところと、イザナミの言う成り足らざるところを誘(いざな)い、重なり合わせ子を授かる事で完全になりました。その「子」こそ私たち日本人であり。このような、私たち日本人の時代が永遠に続きますようにと解釈する説。

 

■平安時代我が君・恋文、年賀説

古語による「君」は、天皇・帝・主人・貴人を敬っていうお方(かた)・親愛の意を表すあなたを指しているとする説。

58代天皇である光孝天皇(830年~ 887917日)が宮中仁寿殿において、僧正遍昭(816年~890212日)の70歳の長寿を祝って「君が八千代」としているように、「君」は広く用いる言葉であって天皇を指すとは限らない。

このように、「君」とは祝賀を受ける人を指しており、「君が代」は天皇にあっては「天皇の治世」を意味し、一般にあってはこの歌を受ける者の長寿を祝う意味であるとする説。

 

古今和歌集では、「君が代は」の部分は当初「我君は」となっており、「我君」とは女性が男性を呼ぶときの言い方で、古今和歌集ができた平安時代では、女性が男性に送った恋文だとされています。

この「我君」から「君が代」への変遷については初句「我君」の和歌が『古今和歌集』と『古今和歌六帖』以外にはほとんどみらないため、以降の歌集においては「我君」という直接的な表現が「君が代」という間接的な表現に置き換わったのではないかといわれています。

 

■鎌倉時代祝い唄説

鎌倉時代には年賀以外でお祝いの歌として、披露されたとする説。
 

■安土桃山時代恋の小唄説

 「君が代は千代に八千代に」の歌が、安土桃山時代の隆達にあっては恋の小唄であったとする説。
 

■室町時代お開き、舞い納め説

一般には「宴会の最後の歌」「お開きの歌」「舞納め歌」として使われていたようで、『曽我物語』(巻第61193年(建久4年)528日に富士の巻狩りの際に起きた曾我兄弟の仇討ちを描いた物語)では宴会の席で朝比奈三郎義秀(和田義盛の子)が「君が代」を謡い舞う例や『義経記』(巻第6)(室町時代前期成立)では静御前が源頼朝の前で賀歌「君が代」を舞う例を見ることができるとする説。

 

■江戸時代の大奥では君を将軍とする説

「君が代」は、江戸城大奥で将軍の息災を祝って元旦早朝におこなわれる「おさざれ石」の儀式で歌われ、正室である御台所が午前4時に起床し、化粧・おすべらかしに髪型を結い、装束を身に付けて緋毛氈(ひもうせん)の敷かれた廊下を渡り、部屋に置かれた盥(たらい)のなかの3つの白い小石にろうそくを灯し、中年寄が一礼して「君が代は千代に八千代にさざれ石の」と上の句を吟唱すると、御台所が「いわほとなりて苔のむすまで」と下の句を応え、石に水を注ぐという女性だけの「浄めの儀式」であったとする説。

 

■天皇を讃える説

720年(養老4年)『日本書紀』に基づく明治時代の計算によると、神武天皇は西暦紀元前660211日に奈良県橿原宮にて即位し日本を建国したとされ、以来2,679年の長きにわたり天皇を中心に続いてきました。

因みに2位のデンマーク王国は欧州で最も古い王室ですが、王家としての始まりは8世紀とも10世紀とも言われており、王室の長さでは日本には及びません。

そして、これほど長く日本を守ってきた天皇に敬意を払うといった意味での「君が代」になりました。

大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたと言われ、「君が代」は天皇の長寿を願い、万世一系の天皇の御治世、すなわち日本が永く続くことを願うシンプルな歌と解釈されたという説。


 

■ヘブライ語説

下記のように、全ての歌詞がヘブライ語に置き換えられるのは、偶然とは思えない一致であるとする説。(日本語の中にヘブライ語に類似した単語が3,000語を超えるという日ユ同祖論)

 

クム・ガ・ヨワ(君が代は) = 立ち上がり神を讃えよ

チヨニ(千代に) = シオンの民(シオン=イスラエルの歴史的地名)

ヤ・チヨニ(八千代に) = 神の選民

ササレー・イシィノ(さざれ石の) = 喜べ残された民よ 救われよ

イワオト・ナリタ(巌となりて) = 神の印(預言)は成就した

コ(ル)カノ・ムーシュマッテ(苔のむすまで) = 全地に語れ

これを全意訳すると

『立ち上がり神を讃えよ 神に選ばれしイスラエルの民よ 喜べ残された民

救われよ 神の預言は成就した これを全地に語れ』となるようです。

 

各国国歌の分類

国歌の歌詞はおおむね、次の4種に分類されるそうです。

〇自国の自然風土を賛美する大韓民国、オーストラリアなど

〇神の栄光と国家の安寧を願うインド、ドイツ、ロシア、カナダ、スイスなど

〇君主や君主国家を讃えるイギリス、日本など

〇君主制への反逆や外敵との抗争を歌うアイルランド、アメリカ、イタリア、ウクライナ、オランダ、中華人民共和国、デンマーク、トルコ、フィリピン、フランス、ベトナム、ポルトガル、メキシコ、ルーマニアなど

 

天皇陛下は、国民一人一人の幸せを毎日祈られています。

君が代を斉唱するときには、天皇陛下に感謝の意を込めて、いつまでもお元気でいてくださること。そして、日本を代表する天皇の御代が永く繁栄していくことが、日本人の一員である我々国民としての最低限の願いではないでしょうか。

 

国旗・国歌が敬意を捧げるべき存在であり、自国の国旗・国歌に対するのと同様の敬意を他国の国旗・国歌にも捧げなければならないというマナーは、我々も含め子や孫に必ず教え伝えなければならないと考えます。