人の死亡と埋葬に関する法律

 

日本の法律では、人が亡くなると死亡の事実を知った日から7日以内に、死亡診断書や死体検案書を添付して、死亡の届出をしなければなりません。(戸籍法86条)

一般的に、同居の親族が届出人となりますが、同居していない親族、親族ではない同居者、家主、後見人等も届出人となることができます。(同87条)

死亡の届出場所は、亡くなった方の本籍地、死亡地、または、届出人の所在地の市町村役場ですることができます。(同88条、25条1項)

死亡届出が受理されると、住民票に死亡年月日が記載されます。(住民基本台帳法施行令8条、13条)

墓地、埋葬等に関する法律2条2項では、遺体を葬るために焼くことを「火葬」と定義し、火葬を行おうとする者は、死亡届出を受理した市町村長から火葬の許可を受け(同5条1項・2項)なければ火葬ができませんし、焼骨を墓地に埋蔵し、納骨堂に収蔵することができません。(同14条)

火葬許可を出す市長村長は、死亡届出を受理した市町村長なので、死亡届出と併せて火葬許可申請書も役所に提出します。

 

葬儀・法要の歴史的流れ

 

仏式葬儀の場合、通常は「通夜」「葬儀・告別式」「出棺・火葬」「初七日」「四十九日」「焼骨の埋蔵・収蔵」という順に行われます。

 

■火葬が葬儀より先に来る地域

ところが、葬儀より火葬が先に来る地域があります。北海道函館市や東北地方(青森・岩手)、静岡、三重、山口、長崎などの一部の地域だそうです。

函館は私の育った街で、平成811月に父が亡くなったときに、居住地東京から帰函した私は、火葬が先に行われて面喰いました。また、函館には香典の半返しの風習がありませんでしたので、母を説得して、東京からの香典に対し、半返しの交渉をしたものです。

 

■火葬が先行する函館の事情とは

下手をすれば、親の死に顔を見られない場合がある(すでに遺骨となっている)函館の火葬事情とは・・・・

1、伝染病説:伝染病が流行したとき、参列者が忌み嫌うので先に火葬。

2、戦争説:第二次世界大戦の戦火が激しくなると集会や人の移動が禁じられ火葬を優先。

3、海水不腐敗説:函館は漁業が盛んで、海難事故が多かった。海水に晒された遺体は腐敗しやすいため先に火葬。

4、大火衛生説:1934年の函館大火で2,166名が犠牲になりました。衛生処理のため先に火葬。

5、会館の遺体搬入拒否説:戦後は町内会館を利用して通夜、告別式を行う際、遺体の搬入を拒否されたため、火葬を優先して遺骨として持ち込み。

6、コスト省略説:遺体を何日も置いておくと手間やコストがかかるため、そのコストを省くために、先に火葬。

前述のように諸説入り乱れ、どれが正しいのかはわからない状態です。

 

■平安時代には火葬が始まり、一周忌まで定着

仏事というと、なにげなく、死者の冥福を祈り、仏を供養し、僧侶に施しをすることである考えられてきました。そこで、葬儀、法要の歴史の流れを概略見ていきましょう。

 

日本では、京都・平安京に首都が置かれた794年からおよそ400年を「平安時代」といいますが、この時代の「葬」の特徴は貴族や僧侶など身分の高い人々の間で火葬が行われるようになったということです。

火葬が広まるようになった背景には、仏教が広まり、お釈迦様が入滅後に火葬されたということに起因しています。

火葬の初見は、続日本紀によると、700年(文武天皇4年)の僧「道昭」(宗派法相宗、師は玄奘で遺言に従って、本朝初の火葬が行なわれた)で、天皇では702年死亡し、殯(もがり)を経て儀礼ののち、703年に火葬された持統天皇(第41代天皇で天武天皇の皇后)となります。

当時の葬儀は、参列者が地味な服を着て参列し、僧侶が故人の冥福を祈って読経を行い、

火葬が行われた後は、参列者たちで遺骨を拾い、骨壺に納めた後で氏寺などに移動するという、現代の葬儀に通じる手順部分があるものでした。

遺骨は仮の納骨堂で10日ほど安置され、正式な納骨用の建物が完成すると遺骨を納めた骨壺が移されて、あらためて納骨されるという流れでした。

しかし、庶民レベルで火葬が広まるようになるのは、明治時代以降のことになります。

 

〇「四十九日法要」

インドでは古代より人の生命は没後49日(これを中陰=ちゅういんという)を経て別の世界で生まれ変わると信じられていました。いわゆる輪廻(りんね)思想です。

この中陰の間に、閻魔大王に生前の罪の裁きを受け、罪が重いと地獄に落ちるとされ、そのため、遺族は七日ごとに法要を執り行い、経を閻魔に届けることで、生前の罪を許してもらおうと考えました。          

 

ところが、インドでは死者は中陰の四十九日を経ると(四十九日目を満中陰=忌明け)、どこか別の世界に生まれ変わると信じられていたために、その後の3回忌、7回忌などといった法要の習慣というものがありませんでした。インドでは火葬後、遺灰をガンジス川に流してしまうのは、現世に未練がないと考えられているからだそうです。

 

一方日本では、没後一周忌にも法要を行って、一周忌法要が終わった段階で全体的な葬儀が弔い上げされ、終了されるというものでした。

このように、平安時代には天皇・貴族社会で一周忌まで行われていた記録があります。

 

■鎌倉時代には三回忌まで定着

鎌倉時代になると、武家社会を中心に三回忌まで行われるようになります。

中国古代の支配者階級の冠婚葬祭などの礼儀作法を記した儒教経典の一書である『儀礼=ぎらい』では、百か日に死者の霊を祖廟に合祀し、合祀してから12ヶ月後と24ヶ月後に祀りを行うことが規定されており、この習慣が取り入れられて百か日、一周忌、 三回忌(没後2年目が三回忌)となりました。

 

〇十王信仰の影響

この「百箇日法要」「一周忌法要」「三回忌法要」の3つの法要については、中国の儒教の祭祀の考え方である冥界の十人の王に審判を受けるという「十王信仰」に基づいています。

 

人は無くなった後、減罪の嘆願を行うため、七日ごとに、秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の王により、順番に天道・人間道・修羅道(以上、三善道)、畜生道・餓鬼道・地獄道(以上、三悪道)のどの道に行くか、一回ずつ審理されます。

 

上記の七回(四九日まで7日ごと7回)の審理をおこなっても行き先が決まらない場合は、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)の追加審理があると説きます。

これら十王の裁きは、閻魔王の宮殿にある「浄玻璃鏡」に映し出され、「本人の生前の善悪」「この世に残された遺族による追善供養における態度」が裁きの判定材料とされるといわれています。従って、遺族としては故人が三善道に導かれていくよう三回忌まで供養を行うこととなります。

 

1213世紀には三十三回忌まで定着

1213世紀に入ると、七回忌、十三回忌・三十三回忌3つが追加され、仏事供養の数は13回に増えました.(初七日から四十九日までの七日の行事、百日、一周忌、三回忌10仏事供養プラス上記の3つの回忌)

 

〇日本独自の考え方 

七回忌からは日本で独自に付け加えられた法要だそうで、三と七を重視する儒教の考え方に基づき「七回忌」「十三回忌」~「三十三回忌」と続いていきます。

 

16世紀~江戸期には追善のための年忌法要が更に追加

さらに16世紀には十七回忌、二十五回忌を加えて十五仏事とし、江戸時代に入ると二十三回忌、二十七回忌、五十回忌が加えられるようになります。

 

このように、江戸時代以降、死者のための年忌法要が仏事の中心となり、死者の追善のための行事と考えられるようになりました。

 

本来のインド仏教は師となる僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教に入る出家主義で、死者儀礼には関わっていなかったのです。

しかし、日本では、インドで説かれていた中陰説の採用。儒教が説く「孝」の観念採用による仏教概念や行事の変化。 56世紀に『梵網経』や『灌頂経』など、追善供養を勧める経典が作られたこと。十王信仰と五経のひとつである『儀礼』などが柔軟に取り入れられ、今に至っています。

 

 現在では核家族や少子高齢化時代を迎え、加えて、未婚男女の増加、給料の少ない非正規従業者の増加、一方では、終活の高まりとともに墓仕舞いもみられ、宗派にこだわらない永代供養を行うお寺も多く見受けられます。

このような社会変化と共に法事も大きく変化するものと思われます。

 

仏教の教え

 

仏教の教えを二つに分類すると聖道門(しょうどうもん)と浄土門があります。

 

■聖道門

〇自分の中に埋蔵している法に目覚めるように努力して悟りを得ようとする教えの聖道門。これには、法相宗、華厳宗、天台宗、真言宗、律宗、臨済宗、黄檗宗、曹洞宗、日蓮宗などがあります。

 

■浄土門

〇法の象徴である阿弥陀仏の誓いを信じることで悟りを得ようとする教えの浄土門阿弥陀仏の誓いである法を信心で得ようとする方法を他力と呼びます。これには、浄土宗。浄土真宗、時宗などがあります。

 

■浄土真宗の考え方

浄土真宗には魂を慰めるという概念がありません。

日本の浄土真宗では、阿弥陀如来を本尊とし、阿弥陀仏の誓い(仏説無量寿経に記す48の誓いの18番目=念仏往生の願)を信じ、感謝の心を受領し、念仏を唱える信心の人となったならば、生あるうちに必ず浄土へ生まれ変わることができるとし、阿弥陀仏の衆生を救うという本願力を信じ、感謝の心とともに唱えることを他力の念仏として重視しています。

信者はみな亡くなった時に直ちに極楽浄土に往生するため、前述した追善供養は一切ありません。

宗祖親鸞上人は『歎異抄』で「父母のためにと思って念仏を称えたことは一回もない」とあります。浄土真宗では故人は仏となって生きているので、供養は必要ないのです。

人を供養できるのは阿弥陀如来だけ。どんな悪人でも、祈れば、阿弥陀如来の絶対的な力でみんなが仏になれる。「阿弥陀如来にすべてを委ねる」…。これが他力本願と言われる教えとなります。

 

命日、祥月命日、月命日の違い

 

■命日(めいにち)とは

一般的な「命日」とは、たとえば、2019(令和元年)531日(没年月日といいます)に死亡すると、亡くなったその日、31日がその人の命日となります。

 

■祥月命日(しょうつきめいにち)とは

亡くなった日の翌年以降の同じ月日(例でいうと翌年2020年以降の毎年531日)を祥月命日といいます。祥月命日は1年のうち、5月31日の1日だけとなります。

 

「祥月」には、「忌が明けてめでたい」という意味があり、「祥」という漢字は幸い、さち、めでたいことという意味が込められており、凶から吉へ変化するという意味もあるようです。

 

■月命日(つきめいにち)とは

「月命日」は亡くなった日のみを指す命日で、故人の葬儀などを終えた次の月から、月命日は始まります。

月命日は祥月命日(例では531日)を除いた1月、2月、3月、4月、6,7月、8月、9月、10月、11,12月の毎月31日となり、1年に11回訪れます。

 

上記の例のように31日命日の方の、小の月と言われる2,4,6,9,11月の場合(西向く侍:武士)には31日がありませんので、その月の最終日を月命日とされることが多いようです。

月命日は、原則、特に人を招いたりする法要はありません。

 

祥月命日と回忌(年忌法要)との関係は

現在では、人が亡くなると、遺族にとっては通夜、葬式の後、初七日、四十九日、一周忌、三回忌と続き、その後、7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌と37を含む年の祥月命日に年忌法要を行うことが一般的となっています。

 

年忌法要は「三十三回忌(没後32)」で故人が完全に成仏すると考えられているところから、これをもって「弔い上げ」とするケースが多いのですが、地域によっては、その後も三十七回忌、四十三回忌と法要を続けるケースもあるようです。

 

〇回忌の数え方

回忌は次のようになり、2年目以降は「かぞえ」で数えることとなります。

亡くなった1年後の一周忌

亡くなった2年目の三回忌

亡くなった6年後の七回忌

亡くなった12年後の十三回忌

亡くなった16年後の十七回忌

亡くなった22年後の二十三回忌

亡くなった26年後の二十七回忌

亡くなった32年後の三十三回忌

 

毎年訪れる祥月命日の中でも上記のような区切りのある年には、追善法要・年忌法要と呼ばれる、僧侶が執り行う法要を行います。

法要の際は、親族や故人の友人を呼び、僧侶による儀式の後、食事を取り、故人を供養します。最近では費用の削減や故人の高齢化(故人の友人知人がすでに物故者となっている又は勤務先を離れ相当の月日が流れている)により1周忌も含め親族のみ、或は家族だけで法要を執り行う傾向にあるようです。

 

 このように、年忌法要とは祥月命日に執り行うものですが、現在では多くの方が参列しやすい休日に設定するのが一般的となっているようで、その場合は、必ず祥月命日よりも前に年忌法要を執り行うのがマナーのようです。

 

〇併修(へいしゅう)法要

 一年の間に二つ以上の法要が重なる場合があります。例えば、父の法要と母の法要など。このような時にはひとまとめに法要を執り行うことができ、これを「併修」または「繰り上げ法要」と呼びます。ただし併修ができるのは一般的にいずれも「七回忌」以降となります。

 併修を行う場合の日取りは早く来る故人の祥月命日に合わせます。

 

月命日の墓参りの終わり方は?

一般的に、月命日は法事とは違うので、特にこれをしなければいけないといった決まりごとがあるわけではありませんし、必ず供養しなければいけないというわけではありません。

また、月命日はいつ終わりにするのかという決まりもありませんので、終わりにするタイミングは自分で決めるしかありません。

大事なのは故人を供養したいという気持ちですので、供養したい気持ちがある間は続けましょう。

 

 

 

故人が喜ぶこと

遺族が幸せになること。

人の死に向き合って改めて自分を見つめ直すこと。

親戚が集まり、仏事に触れる機会を与えてくれたことに感謝をすること。

これが法事や墓参りの意味となるのではないでしょうか。

 

このように、「墓参り」や「回忌」をすることで故人との繫がりを確かめ合い、今日のあることに感謝の心をあらわすことができると考えます。

悲しみから立ち直ることもできるでしょうし、自分自身への問いかけにもなると思われます。

 

合掌。

 

 

宜しければ、

https://ameblo.jp/hikarugenjii/entry-12349830608.html

(神社仏閣の参拝知識)も参照願います。