森田剛センター、岡田准一・三宅健シンメ
長野博・坂本昌行シンメ
三浦ツトム・小原ユウキシンメ
秋山ジュン・原トモヒロシンメ
大野智・町田慎吾シンメ
鈴木ヤスノリ・屋良朝幸シンメ
1995年12月17日に放送されたアイドルオンステージを観てました。少年隊の映像だけは相変わらず豊富な我が家です。
で、少年隊が歌った『PGF』の後ろで踊るジャニーズJr.の名前を羅列してみたのだけど、上記のメンバーしか把握できなかった。この頃のジャニーズJr.は可愛らしい子が多いので、名前と顔の一致を急ぎたいのですが、なかなかです。
辞めたJr.の名前をフルネーム漢字表記は良くないかなー、と思ったので、苗字のみ漢字で名前はカタカナにしてみました。
そしたら、田口トモロヲ化現象が起こってしまった(笑)
この回のアイオンでは、私が大好きなビークルメドレー(←このメドレーの正式名称は知らないので勝手に名付けました)も披露しているんだけど、これがなかなか感慨深い。
あの頃(1989年のプレゾンagain)は日陰の存在だった長野くんがV6としてのデビューを約束されていて、はたまたあの頃デビュー直前で勢いがあった忍者は解散寸前まで追い込まれている状況。
形勢逆転とは正にこのことだな、と思わされるシビアな現実。もう既に古川志賀は居なくなってるし。
1993年~1995年のこの時期は、80年代ジャニーズと現役ジャニーズの転換期だね。
1993年
・男闘呼組解散
・SMAP『$10』のヒットにて確固たる地位と人気を得る
1994年
・田原俊彦ジャニーズから独立(独立と言えば聞こえは良いが、円満退社ではなかった模様)
・光GENJIから大沢と寛之が脱退
・忍者から古川と志賀が脱退
・TOKIO華々しくデビュー(デビュー間近で小島啓くんが謎の失踪を遂げたことは、この際だから目を瞑ろう)
1995年
・光GENJI解散
・V6デビュー
いやー、いろいろあったんだね、あの頃。少年隊だけ呑気にPGFとか歌ってたんだ(笑)
憧れのトシちゃんも、良き相棒大沢も退社してしまった1994年に内海くんは何を思っていたのだろう。
当時内海くんは27歳。ただでさえ若者と大人の狭間で大変な時期に、こんな逆境に立ち向かっていたんだなー。あの頃のアイドルは馬鹿にされることが多いけれど、みんな苦労しているよね。もちろん、その大変さも表に出してはいけないのがアイドルたるもの。へらへらしてるイメージを世間に植え付けて、苦労とは程遠いような存在として居続けたこともまたすごい。
あの頃のアイドルは、本当に偶像そのものだね、良くも悪くも。アイドルとしての在り方、教訓みたいなものが徹底的に叩き込まれているから、アイドルとしては完璧。
更に人としての教訓も教えてくれていればもっと良かったんだけどね、と赤坂くんや山本くんのその後を考えると嘆かわしい。
話は変わって、内海くんの新たなお仕事が決まったらしいですね。前回の舞台から間も無く届いた朗報で、ただただ嬉しい限りです。東京のみの公演ということなので、なんとか頑張って東京に向かいたいと思います。
この3人が一緒に映っているのは、なかなか貴重かも。内海を見上げる植草錦が可愛い