この「神秘性シリーズ」・・・って名前はちょっと大げさだけど、話を聞いたあとはそれが実感できるはず。

 

少なくとも僕はとても仕事と人生に影響あったですよ。ぜひ最後まで読んでみて下さいね。あなたの好きな「オーラ」とか「スピリチュアル」な話ですから。

 

コーチはこういう話を大人だけじゃなく「小学校低学年」の子にも話してる。まさにアインシュタインの言葉「6才の子供に説明できなければ理解したとは言えない」だね!ここでは、それを自分なりにまとめてみただけ。ちょっと間違ってたり浅かったりするかもしれないけど、「備忘録」ということで乞うご容赦!

 

さて、ではまず、演技について語る前にもっと視野を広げて「芸術」について。

 

芸術ってなに?

我々の演技も「芸術」の1ジャンルだよね?

それを含め、ドラマや映画や演劇、歌や楽器演奏、絵画や彫刻、様々なパフォーマンスやプロスポーツなど、芸術やエンターテイメントは、生きるために必要なものなんだろか?

 

こたえはもちろんそう。

戦時中の食べものや物資が不足し思想が統制されてる時でさえ、「慰問団」や「軍歌」など常に芸術は我々の側に存在し続けた。

 

聖書にも「人はパンのみにて生くるものに非ず」とある。

物質的なものが満ち足りても、それだけでは生きられない。衣食住全て満ち足りていても自ら死を選ぶ人もいる。「精神的な充足」や愛が生きるのには絶対に必要なんだよね。

 

じゃあその「芸術」ってホントの所なんなの?

辞書や事典的な定義は自分で調べてもらうとして、ここでは「使える定義」だけ述べます。

 

芸術とは、コミュニケーションの最も純粋な形である。

 

まあ、一言で説明すると、伝わってくるものはすべて「芸術」であり、逆に芸術の形をしていても伝わってこないものは芸術じゃないってことだね。たとえ、子供がクレヨンで書いた絵でも、そこから深い悲しみや抑えきれない喜びなんかが「伝わって」くれば、その絵は「芸術」となる。

 

僕たちもそれを知ってか知らずか「おお、メチャ芸術的じゃん!」とか言うよね?

 

ちなみに、この極端な例があの「バンクシー」だ。

 

 

壁に「スプレーの落書きの」ように書かれた絵が、多くの人の心にそのメッセージが深く伝わり、何億円もの価格で取引されるまでになった。

 

演技ももちろんそうだよね。たとえ場末の劇場のしょぼい役でも、それを観た人に深く何かが伝われば(コミュニケーションすれば)、それはバンクシーのように「芸術」になるんだ。(同じように売れるかはさておき……)

 

 

コミュニケーションってなに?

さて、じゃあその「コミュニケーション」について考えていこう。僕たちは「最近親とコミュニケーションないんだよね」とか、「もっと上司とうまくコミュニケーションとりなよ」て感じで使ってるね。
 
そう、この言葉は「伝達、通信、交流、連絡・・・」という意味。でもその「語源(もともとの意味)」が面白い。
 
コミュニケーション(communication)の語源は、「共有する」ということ(ウィズダム英和辞典)
 
「共有」?
わかったようなわからんようなだよね。
 
「共有」という言葉を真に理解するには、まず「所有」を理解しないといかん。「所有」してなきゃ「共有」もできないからね。
 
 

所有ってなに?

一般的には、お金払ってそれを占有する権利を有しているみたいな意味だけど、ここで言う「所有」はとてもシンプル。
 
所有とは、「の」をつけること
 
『このビルオレの〜」とか言うだけで自分のものになるわけねえだろ!』
・・・って思うよね?実はなるんですよ!現に「オレの田舎」とか「ウチのマンション」とか言うでしょ?海外出たら「私の国」とか言ってるでしょ?「〜の」を付けるだけで、ただそれだけで「所有」できてるんですよ。
 
「私の家」「君のクルマ」「彼のボールペン」「自分の家」・・・そういう物質的なものだけでなく、概念(考え)ももちろん「所有」できる「私の考え」「僕の夢」「あの子の未来」「私の意志」・・・。
 
人は「〜の」をつけただけで、それを所有する。そしてこの「所有」という「概念(考え)」があるから、「怒り」「恐れ」「悲しみ」「喜び」・・・すべてのありとあらゆる感情が存在するんだ。
 
そうだよね?みんな「私のプリン食べたのだれ!」って怒ったり、「ウチの気持ちなんにも分かってくれないんだ・・・」って泣いたり「我々の国を侮辱するのは許さん!」って戦争したりする。それって「所有」という考えがあるからなんだ。
 
ここまではオーケーだよね?
では質問。
 

なにがそれを所有している?

 
 
 
 
→「なにがそれを所有している?その2」に続く