このような事件を起こす度に考える、芸能人の虚像と表の華やかさ。
芸能界で売れれば、一度は「殿様」のように崇め奉られるだろうし、奉られるその人間も俺は大した人間だなんて慢心してしまうかも知れませんよ。
売れたからとて、その人間が尊敬に値する人間かどうかは全くもって保証がない。
テレビや映画で見るその人の姿形は作りものなのだ。良くも悪くも。
本当の意味での実力とは、その人間の生き様でしかない。そのには、芸能界も私たちが暮らす日常も区別はない。
あまりにも、個の価値と表の評価とが開き過ぎれば、本人は自分の無価値に苦しむかも知れない。自分が自分に耐えられなくなるだろう。
かつても少なくない芸能人、著名人たちが
作り上げられた虚像と自分の小ささとのギャップに苦しみ喘いできただろう。
そして、日々私たちが目にする華やかさと笑いに彩られた芸能界の表舞台に立つ芸能人たちの晒されている過酷な環境を普段は窺い知ることは出来ないが、こうした芸能人が引き起こす事件によって、白日のもとに晒してしまえば、彼らがなんと未熟な人らであるかが分かるだろう。
人間として成長する機会を得られず、絵空事に命を磨り減らす彼らたちの人生の痛々しさ、醜さを、私たちは悲哀をもって眺めている他はない。
被害に遭われた女性の未来が決して閉ざされることがないことを祈るばかりだ。