元宝塚スター桜緋紗子は尼の道へ♪ | 光源氏のブログ

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〇太閤秀吉に世継ぎの秀頼ができたことで、関白の
地位を剥奪され、高野山に追いやられた後、切腹さ
られた秀次公。
太閤の姉で秀次公の母である智が、子や孫の菩提を
弔う為、嵯峨二尊院の傍に寺を建て、
のち後陽
成天皇からの加護もあって村雲「瑞龍寺」
と称して日
蓮宗では唯一の門跡寺となりました。

昭和38年、寺は秀次公ゆかりの近江八幡に移りま
した。

その後、途絶えていた門跡を継いだのが旧小倉藩主
小笠原長幹の五女松子(12代、日英尼)。

 父が遺した昭和42年1月31日付京都新聞夕刊
には、

「尼僧姉妹」と題して5枚の写真入りで、近く行わ
れる
普山式のことに触れ、
また義妹の元宝塚スター桜緋紗子
さん(英法尼マタ日
鳳尼)の事にも言及しています。

12代日英尼の後を継いだ日鳳尼も9年前の3月2
0日
に遷化(逝去)するまで瑞龍寺の復興に寄与さ
れた由。