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純喫茶メモリーズ
珈琲館 チェリー
栃木県下野市
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JR石橋駅のすぐそば、
店内がセピア色に染められた純喫茶「珈琲館 チェリー」さんはそこにあった。
昨年2019年3月いっぱいで閉じた同店。
石橋高校に通う学生たちの中にも、
喫茶店童貞を捧げた卒業生も多いのではないだろうか。
今となっては喫茶店へ足を運ぶことが一日の句読点を打つ作業となっている僕が、その「童貞 チェリー」を捧げた、思い出のお店だ。
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煉瓦調の内観に、
店内を映し出すほど磨かれたカウンター、
レトロな作りの椅子や机……、
当時高校生だった僕にとって、そのどれもが「懐かしい」と「新しい」との混在で、この店内で「一人のオブジェ」となれる感覚は、興奮を覚えた。
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青春の故郷は、別れを告げないまま、「思い出」となってしまった。
学ラン姿でブレンドやダージリンを啜った青春時代。レトロな雰囲気が漂う喫茶店に沈潜することが、僕の「格好良い大人像」だった。
〝大人気ないまま、こんな大人になりました——〟
まだまだ目指していた大人にはなれていないけども。
その「まだまだ/伸びしろ」を味わいたくて、
帰省の折にも通っていた思い出の喫茶店だ。
高校の終わりを締めくくったのは、
列島を揺るがした東日本大震災「3.11」。
ふと「3.11前の人生」よりも
「3.11後の人生」の方がうんと長いのだと、
あの日のホットココアを思い出すたび、
青春時代の自己表現との葛藤が心を覗かせる。
達郎の「希望という名の光」を耳に提げて、
故郷を後にする直前、お店のドアを閉めたことは、今も鮮明に覚えている思い出の一つだ。
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お店が閉じて、間もなく1年。
重ねた年齢で思い出を上書き保存できない青春の故郷はモノクローム。
カリカリのトーストも、
ジャムが添えられたアフタヌーンティも、
ガラスが張られた机にそっとカップを落とす感覚も、
レトロな雰囲気での気取り方も、
カウンターに憧れながらもボックス席で遠慮した心模様も……。
あの日、喫茶店童貞を捨てたひとときは、うんと遠いんだ。
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年末年始、浴びるようにヘビロテしていた一曲が
AI美空ひばり「あれから」だ。
故人をAIで「復活」させることは倫理的な観点から評価が分かれているが、多くの思いが凝縮されて煌めく作品に罪はない。
「川の流れのように」「クリスマスキャロルの頃には」「忘れもの」……数々の名曲を手がけてきた秋元康氏が紡いだ、
〝生きるというのは別れを知ること〟
〝あれから どうしていましたか?〟
の歌詞を心に落としながら、気づくと口ずさんでこみ上げてくる涙を覚えながら、少しずつ変わっていく青春の風景に思い出を重ね合わせていく。
時の移ろいは、やっぱり残酷だ。
それでも前を向いて、
思い出を愛しく丁寧に扱いながら、
今すぐそばにある文化の一つひとつの当事者となって、時代に刻んでいって生きた証を次代に繋げていかないと。
僕らは、文化のお客さんじゃない、
時代や将来に対して、文化を提供する当事者だ。
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歳を取り続けていく街の風色と、
セピア色に染まっていく思い出と。
移ろい行く時代の中で、変わらないでいてくれる景色を愛しく思いながら。
そうだ、過去は、将来よりもうんと遠いんだ、と。
「あれから」の歌詞を絵の具に
モノクロの思い出に色を灯しながら。
Tnanks,cherry.