珈琲専門店
キャラバン
去り行く純喫茶
新年も明けて、間もなく1ヶ月が過ぎるという。
あっという間に今年も、12分の1が過去となって積み重なっていった。
明日1月31日(水)、
佐世保は常盤町の「珈琲専門店 キャラバン」さんが、40年近い歴史に幕を降ろすという。
僕がこのお店を初めて訪れたのは、
2012(平成24)年の10月のことだ。
まだまだ慣れていなかった佐世保に、
落ち着きを見つけたことを思い出す。
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久々に佐世保に戻った先週、
数年ぶりにお店に訪れると、
たまたまお店が終わるという話が常連さんとママさんの会話から漏れてきた。
盗み聞きというよりは、
僕は二人の会話の観客だった。
情報というものは、自分の足と耳と目で吸収するものだという醍醐味を
自分の機会獲得に酔っ払って感じていたが、
手のすべての指が折り曲がるほど足繁く通えなかったことを、何より後悔した。
元々は、夫妻で営んでいたというキャラバンさん。
今のママさんは、お2人から託された形で、
「くにまつ珈琲」さんや「山本コーヒー」さんのマスターからの手ほどきで、珈琲のいろはをなぞり始めたと聞いた。
佐世保の街の喫茶の担い手の皆さんによって、
息の長いお店へと繋がれていった、濾過されたまさしく佐世保の町の味。
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ミルに注がれる珈琲豆が、
機械仕掛けの音色を鳴らして、香りを踊らせる。
ミルで珈琲豆を削る時間は、ついつい長く感じてしまうけれども、
それを止めてしまわない限り、いつかは削り終わりが来て、お湯が注がれて……。
気が付けば、温かく黒い珈琲となって、人々の身体を流れていく。
最後に頼んだブルーマウンテン。
隣には、今日も落花生が横たわる。
優しい口当たりの波佐見焼に、
目一杯注がれた珈琲を最後まで飲み終えてしまうのが、何だか惜しくてたまらなかった。
キャラバン一行に、もっと浸っていたかったんだなと。
常連と町の文化力
お店の入っている建物が
今年の春に取り壊しとなる関係で、
お店を閉じるというキャラバンさん。
そもそも喫茶店そのものは、
どこも次の担い手がなかなかいないからこそ、
一代限りのところが少なくないと、ママさんが言った。
ミルに珈琲豆が注がれないと、
そのミルは単なるオブジェにしかないのと同じだ。
ご病気になった先代のママさんの後を引き継いだ今のママさんが、
先代時代の常連さんの憩いの場を、温かく今日まで続けていってくださった。
「名前こそ分からないお客さんたちだけども、
こうして毎日会いに来てくれるのが嬉しい」
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「常連」というといつも思い出したくなるツイートが僕にはある。
鳩山由紀夫政権で官房副長官を務められた松井孝治さんのツイートだ。
Koji Matsui 松井孝治@matsuikoji
居酒屋に限らず、名画座でも、小物屋でも、ライブハウスでも、寄席でも、喫茶店でも、自分が愛してやまないお店が続いてほしいと願うなら、自分がそこに足を運び、気の置けない友達を紹介し、その店の存続に貢献するのが、本当の常連のつとめだし、そういう常連の厚みがその町の文化の力だと思う。
2012年09月04日 06:46
このお店ほど「常連の厚み」と
「町の文化の力」とがよく似合うお店を僕は多くは知らない。
毎度一人で密やかに訪れていたキャラバンさんは、
ついに常連にこそなれはしなかったが、
いつも店内で繰り広げられていたのは、
常連さんとママさんとの会話/文化だった。
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キャラバンさん。
お店の名前の由来は、
先代のご夫婦が都内で働いていた同店名によるものだという。
まさにキャラバン一行の大移動は、
長いこと佐世保の文化の力として佇んでくれていた。
そんなキャラバン(常連)一行の旅路の最終公演はいよいよ明日。
常連の皆さんが通うからこそ、あのコーヒーミルの音楽は鳴り続けていた。
常連さんたちの名残惜しい「ありがとう」が、
お店のとママさんの記憶の中での優しいオブジェとなりますように。