~自民党総裁選次第~
分裂? 額賀派(平成研)のおしり
<イントロ>
▼額賀派が分裂の危機に瀕している。久しぶりの自民党お家騒動だわね。
▼25日に額賀派(平成研究会)は、新年初となる派閥としての定例会を開催したが、派に所属する参院議員21名全員が欠席するという異常事態が起こった。
▼かねてより、派閥会長交代論の根強い額賀派ではあるが、今回派閥の参院会長を務める吉田博美自民党参院幹事長は、額賀氏が派閥会長を退任しない場合には派閥の参院議員全員を引き連れて、派閥退会の後の新グループ創設も辞さない構えを見せている。
▼かつては竹下・橋本・小渕の3人の総裁を誕生させ、日本政治をそのまま動かしていた時代もあった同派閥ではあるが、いよいよ黄昏の黄昏を迎えている。
¦What's
¦ 平成研?
26日、官房長官や自民党幹事長を歴任した野中広務氏が亡くなられた。
野中氏と言えば、
叩き上げ政治家の代表と言われ、
老獪に幾多もの政局を乗り越えてきた人物である。
細川・羽田の連立政権の後の自民党による政権奪取は、氏なしには考えられないものであっただろう。
橋本派時代の平成研究会
実際に派を牛耳っていたのは衆院は野中氏、参院は青木氏だった
(参照元:http://wall.kabegami.com/detail/822743/Japanese%20Liberal%20Democratic%20Party%20Members%20Talk)
そんな野中氏も、今回ブログで紹介する平成研究会の出身だ。
思えば、野中氏の議員としての最後は、非常に鮮烈なものであった。
ただ言葉で「ハト派政治家の代表格」とだけで片づけられてしまうのは惜しく、政治家・組織人としての信念を持たれていた野中氏。
とりわけ、小泉政権における「抵抗勢力」の象徴として、ただ一人で小泉自民党に内から立ち向かっていった姿は印象的だ。
昨日までの仲間たちが目先の損得に捉われ、「毒まんじゅう」を食わされていく中で、まさに政治家としての気骨を見せたのが、あの会見だった。
☞自民党の政権復帰や政権の安泰のためには手段を選ばなかったのは事実だが、それは目先のポスト云々ではなく、立場ある組織人としての信念であったように思う。
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(参照元:http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170706/soc1707060024-p1.html?ownedref=article_not%20set_newsPhoto)
平成研究会(かつては「平成政治研究会」)の前身は、竹下登氏の経世会だ。
田中角栄氏の率いた木曜クラブの系統ではあるが、
厳密には田中派を割って出たのが竹下登氏であり、
正統な派閥としての後継は二階堂進氏のグループである。
竹下政権以後、宇野・海部の両政権を実質的に牛耳り、
その後の総裁選レースでも影響力を伸長させていったのは、
他でもない経世会であり、金丸信・竹下登・小沢一郎の「金竹小(こんちくしょう)」コンビであった。
当時は「経世会にあらずんば、人にあらず」との言葉が聞こえる程でもあり、
政界のフィクサーやキングメーカーといった言葉がよく似合っていた。
しかし、竹下氏のリクルート事件、
金丸氏の佐川急便事件といった汚職のイメージが定着。
後に両者の派内の実権争いも鮮明となり、
その対立軸は、金丸氏が推す小沢・羽田系と、竹下氏が推す小渕・橋本系の分裂にも影響を与えていった。
そうした経緯からも、
当時の小渕氏の派閥会長就任は、実権回復を狙った竹下の力が働いた結果であった。
☞橋本龍太郎氏に関しては、政策通で甘いマスクとポマードヘアーで国民的人気はあったものの、有名な「怒る・威張る・拗ねる」もあって、なかなか領袖にはなり得なかった(その後、綿貫氏を挟んで派閥会長に就任)。
橋本龍太郎氏
(参照元:http://www.asahi.com/special/sengo/visual/page69.htm)
その後、小沢・羽田系が「改革フォーラム21」を立ち上げて派閥から離反。
後の非自民・非共産の細川連立政権に繋がったことは、取り分けて書かない。
党内第一派閥として日本政界を動かしていた派閥であったが、
小泉政権時に「自民党をぶっ壊す」が「〝旧・田中派をぶっこわす〟の意」ともされていたように、近年は派閥としての力は党内において、かつてほど大きいものではない。
☞ただ、竹下氏の直系でもある「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄氏に見るように、参院での発言力は未だに大きく、それは現在の自民党参院幹事長の吉田博美氏に受け継がれている。
¦額賀氏が
¦派閥領袖となった背景
そんな平成研で09(平成21)年から派閥会長を務めているのが、額賀福志郎氏である。
防衛庁長官や自民党政調会長、財務大臣を歴任するなど、その活躍はわざわざ紹介するまでもない。
ただ、額賀氏の派閥会長就任が「棚ぼた式」であったのも事実だ。
前列左から竹下亘氏(現・党総務会長)、額賀福志郎氏(現・平成研会長)、
吉田博美氏(現・平成研参院会長、党参院幹事長)、茂木敏充氏(現・経済再生担当相)
(参照元:http://www.sankei.com/premium/photos/170830/prm1708300005-p1.html)
平成研は90年代の政界再編の煽りを受け、将来の総裁候補と目される有力な議員が後を去った経緯がある。
現在、ポスト安倍の最右翼とされる石破茂氏、党憲法族の有力議員である船田元氏、一昨年鬼籍に入られた鳩山邦夫氏らがそれに当たる。
そのため、相対的に次代を担うホープは、
鈴木宗男氏、藤井孝男氏、そして額賀福志郎氏の「御三家」であった。
その内、宗男氏は「鈴木宗男事件」もあって党を離党。
今でこそ、自民党政権に近しい立場にあるが、立ち上げた新党大地は当初は民主党(当時)寄りであった。
また、藤井氏にしても、03(平成15)年の党総裁選に出馬はしたものの、
これは野中氏らが自派閥から誰か総裁候補を立てなければいけない危機感での土壇場出馬であり、派を挙げての総裁候補とはなりえなかった。
☞冷や飯食いを恐れて、小泉氏と真正面から挑もうとする議員も多くなかった。また、この時の総裁選での「反小泉」は志帥会の亀井静香氏が担っていたようにも思える。
その後、藤井氏は郵政民営化に反対して離党。
第一次安倍政権の際に復党を果たすもの、自民党が野党になってから間もなく「たちあがれ日本」結党に参画し、日本維新の会(現在の同名の党とは別物)などを経て、16(平成28)年に自民党に復党。
そうした経緯論から、
一貫して派内を守り、徐々に実力をつけてきたのが額賀氏であったのだ。
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¦派閥領袖が
¦総裁候補でなくなった時代
額賀氏は派閥会長に就任する以前より総裁候補とは目されていたものの、
今日に至るまで総裁選に出馬することは叶わなかった。
06(平成18)年の総裁選前後での一コマ
この内、河野太郎氏と鳩山邦夫氏も総裁選出馬をギリギリまで目指したものの、
実際に出馬したのは安倍晋三氏、麻生太郎氏、谷垣禎一氏
(参照元:http://news.livedoor.com/article/image_detail/2355744/?img_id=84351)
最初に額賀氏が総裁候補として名前が挙がったのは、ポスト小泉を決める06(平成18)年の総裁選だ。
当時、紙上やテレビでは、
小泉政権下で活躍した麻生太郎外相、谷垣禎一財相、福田康夫元官房長官、安倍晋三官房長官の「麻垣康三」と呼ばれるポスト小泉候補が賑わせていた。
しかし、新聞によっては福田氏と額賀氏とを入れ替え、
額賀福志郎の「福」を取って「麻垣福三」としていたところもあった。
結局、派内の慎重論に押されて、額賀氏が出馬することはなかった。
自民党野党時代
「12時間ぶっ続け生自民党」内
「同期の桜ナイト」の一コマ
(参照元:http://www.nicovideo.jp/watch/sm18252955)
次に総裁候補として額賀氏の名前が挙がったのは、
翌年07(平成19)年のポスト安倍を決める際の総裁選だ。
実際には、麻生氏と福田氏との一騎打ちとなったが、
額賀氏は早い段階から総裁選へ出馬する意向を示していた。
しかしこの際は、派閥が麻生氏支持と福田氏支持とに分かれ、
額賀氏自身は福田氏を支持することで、自らの出馬は断念した。
派閥の性質上、青木幹雄氏や当時の派閥領袖であった津島雄二氏らの采配がすべてだったのだ。
その次の年の総裁選では、
派内から総裁選に出馬したのは額賀氏ではなく石破氏であり、段々に総裁候補としての印象は影を潜めることとなっていく。
額賀氏の派閥の立ち位置としては、
ポスト小泉をめぐる06(平成18)年に、平成研を取り仕切る青木氏の次の文句がすべてだったのかもしれない。
「額賀氏の名前を出して派閥において議論するのは構わない。
ただ、実際に出馬をさせるかどうかとなれば別」
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派閥の会長に就任したのは、
その後、自民党が野党に転落してからだ。
しかし、名門派閥としての求心力低下に歯止めをかけることはできず、
鳩山氏の離党や石破氏らが派閥を抜けるなど、数こそあれど派閥としての発信力が強くなることはあまりなかった。
☞この後、石破氏は自らの派閥・水月会を立ち上げている
特に象徴的なのは、自民党が政権復帰した後に、
他の派閥の領袖は大臣や議長、党三役などのポストに登用されるのと対照的に、額賀氏がそうしたポストに就くことがなかったことである。
☞特定秘密保護法が成立した後、衆院の情報監視審査会会長に就任はしているが
やはり、副総理の麻生氏や幹事長の二階氏、「イブキング」の異名を持つ伊吹氏、ポスト安倍と目される石破氏や岸田氏……といった他派閥の領袖クラスと比べてしまうと、額賀氏と平成研が黄昏を迎えているのは素人目に見ても分かる。
二階氏や麻生氏のように、キングメーカー/寝業師として政権や党に力を持ち、派閥議員のポストなどを掴みにいくタイプ。
一方で、岸田氏や石破氏といった総裁選を見据えて、派閥そのものを動かせるタイプ。
このいずれかで派閥会長は動いていかないと、なかなか求心力が継続されることはないのかもしれない。
かつて、額賀派のとある議員が「額賀さんを総裁候補として考えているのは、本人くらい」と紙上に書いてあったことが、やんわりと思い出される。
¦参院が強い平成研
¦額賀氏の去就は
さて、
派内では専ら、竹下亘氏を派閥会長に据えて「竹下派」の復活の後、
小渕優子氏に継がせての「小渕派」までの復活を望む声が未だに根強いとされている。
今回の額賀派参院メンバーの反乱も、突発的に起こったことではなく、
マグマのように溜まっていた不満が、やっとの思いで吹き出てきた格好に過ぎないのだ。
現に、額賀氏が派閥領袖となってから、大きな派閥の規模拡大に至ることも、総裁候補を出すことも、所属議員に大臣ポストが上手に回ることもない。
☞額賀氏の派内の評価として、面倒見が良くないとの評価が多く挙げられる
☞また、15(平成27)年の不倫報道などが、畳み掛けるようにして、不満を積み重ねている
不勉強ながら、額賀派所属の参院議員は21名いるのだが、
何と参院には、これに加えて額賀派には入っていないものの「参院額賀派」だけに所属する議員が10人もいるという!
現在、参院自民党の実質的な最高実力者とされるのが、
先に述べた吉田博美党参院幹事長(額賀派参院会長)であり、額賀派の参院議員は吉田氏に今後の対応を一任しているという。
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それでは、現在の額賀派における総裁候補と目される人物は誰なのであろうか……?
茂木敏充経済再生担当大臣(左)
(参照元:http://www.sankei.com/politics/photos/160508/plt1605080012-p1.html)
現在、経済再生担当大臣を務める茂木敏充氏は、政策能力やこれまでの経歴から見ても申し分ないようには思えるが、一向に派内から良い印象は聞こえてこない。
「人使いが荒い」「人望がない」……。
紙上によく出回る茂木氏評だが、恐らく派を挙げてでの総裁候補とはなりにくいのが現実であろう。
本人も次期派閥会長の座を虎視眈々と露骨に狙っているからこそ、額賀氏に従順なポーズを取っているようにも見える。
第二次安倍政権発足以降は「経産大臣→選対委員長→政調会長→経済再生相」と重要ポストを一貫して担ってはいるものの、「額賀派」としてと言うよりも「安倍派」としての登用な気がしなくもない。一本釣り、個人登用だろう。
☞現に額賀派が派閥として希望している閣僚候補は、閣僚ポストに充てられていない
もう一人、加藤勝信厚労大臣を総裁候補として育てていくべきとの声もある。
しかし、こちらも安倍首相の側近中の側近であり、ポスト安倍を占う頃にどのような役回りにあるかは、まだ不透明だ。
☞安倍首相が野党総裁だった際には、総裁特別補佐を務めていた
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実際に額賀派においては、
かつて額賀派に所属していた石破氏との連携を模索する動きや、宏池会の会長を務める岸田文雄政調会長を推す声もあるというが、今の分裂状態にあって一枚岩にまとまるかは微妙と言える。
石破氏に関しては、
かつては「出戻り組」や「脱派閥」のイメージから、青木氏らの反感を買っていたとされているが、今は良好な関係にあると報道がされている。
また、宏池会の岸田氏についても、
数年前に宏池会名誉会長の古賀誠氏が、額賀氏に対して「平成研と宏池会とは党内リベラリズムで同根」という主旨のことを漏らし、秋波を送っていた過去もある。
☞その中で、額賀氏は自分たちのことを「保守中庸」としている
ただ、大方の考えとしては、
額賀派から竹下派に代替わりをして、小渕優子氏を将来の総裁候補として育てていきたいというのが本音なような気もする。
その一方で、自ら総裁候補に躍り出たい茂木氏がどう絡んでいくかも注目であろう。
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額賀氏が派閥会長退任を表明しない限り、分裂状態が続くであろう平成研。
青木幹雄氏からの薫陶を受けた吉田氏としても、今回派閥会長に推薦される竹下氏としても、
我らこそが平成研の本流だとの自負が見え隠れするお家騒動。
☞竹下氏は、あまり表に出たがるタイプの政治家ではないが、国対委員長や総務会長などを経て、日に日に発言力は高まりつつある
考えてみれば、一昨年の額賀氏の「派閥会長退任報道」が出た段階で、長い長いモヤモヤは少しずつ形となって固まってきていたのだ。
とりわけ、「竹下派」や「小渕派」といった、あの頃の隆盛をもう一度との声を虚しく響かせたくない強い意志もあるだろう。
ただ、かつては党内第一派閥でもあっただけに、
仮に分裂した場合には、額賀派の衆院側の影響力の低下、他派閥からの一本釣りなど、総裁選を見据えての蠢きもありそうだ。
一方で、分裂回避となった場合には、あれだけ「一致結束・箱弁当」とまで呼ばれた名門派閥にしこりが残り続けていくこと…、といろいろな想定がなされる。
ただ、一つ言えるのは、
この安倍一強時代において、自民党参院が今後とも強大な力を携えて、老獪に政局をこなしていくことだわね。
¦雑感。
政治家を語るときに、
よく聞かれる文句にこんなものがあります。
〝「お金にクリーンだが、決断力のない政治家」と
「お金に汚いが、決断力に富んだ政治家」の
どちらが立派な政治家であるかと聞かれたら
迷わず後者の方であろう〟
申し訳ない限りですが、
額賀氏は、なかなか決断力のある政治家には、素人目には映らなかったのが事実です。
それは、
青木幹雄氏や津島雄二氏といった当時の派内実力者が、額賀氏のことをなかなか派閥の総裁候補として生かさなかったのも遠因ではありましょう。
派内にいる実力者の方の力が強いほど、
派内を守る者としては、なかなか派閥に決断力を許してもらえなかったとも言えます。
25日、空席の目立つ平成研の定例会
(参照元:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180126/k10011303021000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_025)
一方で、
如実に力を付けてきたのは青木氏の申し子・吉田博美自民党参院幹事長でしょう。
現在、自民党の参院会長は橋本聖子氏ですが、
あくまでお飾り的な意味合いが強いと言われています。
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「私には失うものは何もない」
吉田氏らの訴えに、額賀氏はそう答えたとされていますが、田中派からの流れを組む一大派閥の威信は剥がれ落ちるばかり、失われていくばかりです。
安倍一強の昨今、
真っ正面から安倍首相に対抗する総裁候補を出したくないのが派閥の本音かもしれませんが、一方で参院国対戦略の経緯からも、今や安倍首相としても吉田氏らは欠かさない存在であるとともに、脅威にあるのが現状です。強い参院。
今回の額賀派のお家騒動から見て取れたのは、
額賀氏と吉田氏、それぞれの「政治家としての決断力」だったのかもしれません。
一つ一つの小さな決断が、
自らへの威信を高めた結果です。
☞吉田氏らとしては、17(平成29)年の総選挙後、大島氏の後任の衆院議長に額賀氏を据えたい考えだったのでしょうが、結局は大島氏の続投となりました。ここは一つのキーとなるタイミングでもありました。
決断力に欠けた派閥会長は存在感を失い、
決断力に長けた派閥参院会長は、派閥内外で存在感を高めていく……。
しかし今思えば、
額賀派は会長の額賀氏が茨城、
派閥幹部は船田元氏と茂木氏とが栃木、
小渕優子氏、佐田玄一郎前議員が群馬……と
北関東勢が豊富な派閥だったのだと気付かされました。
ただ、この派閥に関しては、
やはりまだまだ島根勢が強大な力を保ち続けるのでしょう。
☞ちなみに、吉田氏も出身は山口
衆院側としては、安倍政権と「近くない」という立場化されるのには危機感があるのかもしれませんが、それは同時に強い領袖・総裁候補の不在でもあるのです。
どっちつかずの立位置のまま、
この間までは「三大派閥」の一つとして、細田派(清和会)と岸田派(宏池会)と権勢を振るってはきましたが、
今や党内第二派閥となった麻生派(志公会)と幹事長派閥として権威を振るう二階派(志帥会)の方が、大きな力を秘めています。
☞麻生派では、派の参院議員が新たな派内に新グループを立ち上げています
派閥会長として総裁候補を目指せない。
また、
入閣候補として挙げていた派内議員を閣内に送り込めず、
後進を育てきることもなく、面倒も見れない……。
派内の不満の鬱積ともどかしさと、
派閥領袖と派閥そのものの存在感のぼやけと。
そうであるならば、
やはり、賞味そこまでと。
派内から愛想尽かされてしまうのは非情ではありますが、それこそ政治の世界なんだろうと思います。