毎週 日曜日はスピリチュアルなメッセージを転載しています。
私は若い頃、いつも、誰か他の人を見ては、なぜ、自分はあのように生まれていないのだろうかと、悩んでいました。
あの人のように美人だったらよかったのに、この人のように朗らか(ほがらか)で明るければよかったのに、スポーツがうまければよかったのに、くよくよしない性格だったらよかったのにと、いつも他の人が羨ましくてたまりませんでした。
どうして自分はこんなに暗い性格に生まれたのだろうか、なぜ、お母さんは私をもっと美人に生んでくれなかったのだろうかなどと、つい考えこんだりもしました。
こんなふうに生まれついた自分は不幸だとさえ、思ったこともありました。
自分自身の性格や外見を、そのまま受け入れて、ありのままの自分であることを許せなかったのです。
そして、他人の評価によって生きていました。
私は学校の勉強がよくできた子どもでした。
そして、成績がよく、先生から褒められ、高く評価されるということがとても重要でした。
高校生のとき、数学の成績が一段階、自分で思ったよりも低かったことがありました。
そのときのショックといったら、いまでも憶えているほどです。
私は身も世もないほどに、嘆きました。
先生に十分に評価されなかったことで、私は自分が完全に否定されたように感じて、どうすればいいか、わからなくなったのです。
自分を褒めてあげることもできませんでした。
私は完全に人の評価によって生きていて、人から十分に評価されないと感じると、ひどく落ちこんで、生きている心地もしないほどでした。
そして、人の期待にそうように生きていました。
その頃は母や父の期待、そして学校の先生や友達の期待にそうために生きていたのです。
そして、人の期待に応えることによって、自分自身を許し、自分を良しとすることができました。
大学に入るときがそうでした。
自分の思いよりも、両親や学校の先生や友達の期待にそうために、大学を選びました。
もしかして、自分の思いなど、何一つなかったかもしれません。
あまりにも、社会や学校や両親の期待や常識に毒されていて、いったい、自分が何をやりたいのか、どのような人になりたいのか、そして何よりも、私がどんな人間なのかも、全くわかっていなかったからです。
それもまた、それでよかったと思います。
でも、そんな人生を続けていると、知らないあいだにどんどんストレスがたまり、自分の魂と自分の生き方に食い違いが出てきます。
いつか、その食い違いを見つけだし、たまりにたまったストレスを解放することが必要になってきたのです。
そして、私の場合はやっと四十歳になって、自分自身に気づき、自分の生きる道を少しずつ、見つけだすことができたのでした。
私たちは自分自身でいればいいのです。
他の人がどんなに羨ましくても、どんなに素晴らしく見えても、自分は自分でいいのだ、自分にはとても素晴らしい才能と魅力と実力と個性が備わっている、
その自分がもっている才能を見つけだし、磨き、発揮することこそが大切なのだ、
ということさえ忘れなけれぱ、私たちはいつか、自分を生かす道を発見できるはずです。
私たちは自分らしく生きればいいのです。
他の人を真似する必要などありません。
他の人の評価を気にすることもありません。
これは、ほかの人の評価を無視しなさいということではありません。
私たちは自分を客観的に見ることが苦手です。
自分には見えなくても、人からはよくわかるところはいっぱいあります。
人からの評価や批判や褒め言葉は、自分を見るときの参考にすればよいのです。
でも、人の言葉によって、自分の価値を計るのはやめましょう。
あなたはいるだけで完全に価値があり、素晴らしいのです。
山川亜希子
『宇宙で唯一の自分を大切にする方法』より転載
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