統合ワークで言われる100の位置について思い出したので綴ります。

初めて立てたのは手放しても手放しきれず、絶えずその周波数を握っては手放したいと思っいつつ手放せず苦しんでいた数日のうちに起きました。


それはスリランカリトリート中に起こった事です。

周波数を使いながらそれを手放したくてでもできなくてどうにかしたくてどんどん重くなって不貞腐れて。


苦しくて苦しくて。なんのためにリトリートに来たんだろうとさえ思っていました。


最終日の夜のミーティングでは本当に不貞腐れて心半分やさぐれていたし、泣きながら他の参加者の方の部屋の前に立っていたことを思い出します。


で、今思い出すと本当にしみじみ思うのは統合ワークって焦ったり苦しんだりしながらやってもダメって事なのね。(だってこれってただの形だけになっているから)100の位置から外れてるし。


一回おっきく手放した(つもりなだけ)だから続けて何回も何回もやるの。そのうち思考が落ち着いてきて心が凪いてくる。そしてその穏やかな状態でさらに統合ワークをしてみると、あるとき体感が起こるんです。


私が初めて感じたのはまずは神々しいまでの光でした。それが見えた瞬間言葉にできない何かが満ち溢れた感覚になり全てのものが流れ出て溢れ出て、この上ない満ち満ちた状態になったんですね。もう表現できない体感が一気に押し寄せる感じです。


帰りのバスで言われた「あなたは今やっと100の位置に立ったのです」

並木さんに言われたこの言葉、やっと腑に落ちました。


あれが100の位置だったんだって✨


でもあの頃はずっと自分は(その体感の前から)立っていると思ってワークをしていたから(笑)「え?やっと立てたってどういう事!?」ってちょっとがっかりしていたんです。(あの頃の私は多分不思議体験とかって言われたかったのだと思います😂)


でも今日ふと、なんて素晴らしい事だったのだろう!と急に感じたんですね。


以前の私は100の位置ってどんなですか?って知りたいと思うし、ここがそうなのかな?って、他にもそう感じている人いるんじゃないかなって。


でも実際立ってみたらわかります。体感した事のない感動?喜び?リラックス?思考では到底作り出せないものを感じるはず。


ですので100の位置に立つというのは無理したり頑張ったりする事ではなく、その瞬間その瞬間自分に向き合って淡々とはずす事が1番大事なのだと思います。


そして大事な事は外したあとスッキリしなければ続けて外す。外すって事は力むことではなく、赦して楽になるって事です。外側を赦せるときって実は根本原理として自分を赦せている時ですし、自分も外側も赦せてる時って、全ての存在がそのままで良いよ、あるがままでいうよって思えている時なんです。無条件の愛の状態です。そういう状態の時って外の世界に対して物申したくなることって無いんですよね。そしてその状態でいたら同じ周波数を使わないことも可能になります。だけど周波数を使う使わないは習慣もあるので使わない覚悟、そして使ったらはずす(気づく)事がいうと思います。


そうしたらいつか、ある日、軽くなっているのを感じられる時がきますよ😊


あの時、素敵な体験をさせてくれてありがとう。

そしてそれを今思い出させてくれてありがとう💓💓