こんばんわ
Ariです
(*´▽`*)
昨年の今頃は
あの悪夢のような頭痛から
ようやく立ち直った頃
かしらん?
結局
出血の跡があります
古いモノですが
と言われてから
行ってない
クリニック〜
緊急性が無いって言われて
撮影したのは
1ヶ月程経ってからだったし
結局どーなんだか
だってこれ以上
医療費掛かるとか
無理ですから〜
って言ってたけど
明らかに物覚えも悪くなったし
なんか今までの自分と違うのよ
ちょっと診察行かないとねぇ
前頭葉の萎縮は気になるし
そんなAriんちで
まさかまたかの大事件
ようやく書けるけど
お片付けが着々と進んでいると
ブログった日の夜
娘が転んだ
階段を踏み外して
顔面を強打、裂傷し
救急搬送された
三連休は始まったばかり
搬送先は家の近所で
形成外科の先生は居なくて
応急処置的に縫われて
結局
火曜日の朝から形成外科へ
書けば数行だけど
本当に心配で怖くて
気が休まらず
狂いそうでした
飲酒してた娘は
応急処置の後
酷く吐き戻し
(CTは異常ナシ)
本人がコレは悪酔い
と言うので
1日様子を見て
その間も遺品整理に行き
その夜もう一度
救急に相談し(祝日)
結局、翌朝
脳神経外科を受けてから
形成外科のある病院へ
事件当日
夜勤明けの主人に伝えたら
しゃーないやん
って冷たく言われ
本当に嫌になった
翌日の救急への相談の時に
意見を言ったら
自分もそう思う
って
先に言ってよ
結局、翌朝(火曜朝)
実の父に相談した
父の事は
書くか書かないか
悩む部分もある
長くなるし
去年
脳出血が見つかった私は
勇気をめちゃくちゃ
振り絞って
何日も何日も悩んだ挙句
一度会いたいなぁ〜と
脳出血の事は言わずに
父に伝えた
父は電話口で
もう会わんとこ
お爺ちゃんになったとこ
見られるの嫌や(^^)
と笑っていた
再発したのかな?と
心配になったけど
(父は大腸がんサバイバー)
お父さんだけちゃうわ!
私もオバサンになったわ!
と笑って電話を切った
以前、
25年ぶりに電話をいれた父は
コチラが拍子抜けするぐらい
明るく気安く
事務所に寄れば良かったのに
と言ったのに
もう会えない
と
思ったら
自分で理解が出来ない位
涙が溢れて止まらない
なんで?
今までずっと会わなかったし
居ない人として生きてきたのに
会えない事が
どうしてこんなに
辛く感じるのだろう
マヂで涙が止まらんのよ
火曜日の朝
娘は救急で案内された
形成外科のある病院へ
父に伝えると医院長と
知り合いだから一言言っておく
と
術後は心配して電話までくれた
私は父が元気だった事と
孫を思い遣ってくれる気持ちが
嬉しくて(ToT)
娘の顔に出来た
ビックリする程の酷い傷
(鼻から眉の上をズズッーと)
1日中吐き戻してた翌日
色々と先の事を思い
身体の芯から凍える様な
不安と恐怖で寝付けなかった
あんな体感は
息子が死んだ時以来
あれから約10日
昨日は抜糸でした
確かに傷は残るけど
ビックリする程キレイに
初見の人は
気になるだろうけど
救急搬送で送られた
家の近所の病院
若い先生は看護師さんに
相談しながら縫ってたそうで
私が頭を下げた時は
居た堪れないってオーラ
(勿論名前も名乗らず)
縫い跡を見た時は
あの衝撃と比べると
本当にキレイに治りつつある
感謝しかない(ToT)
こうなれば
最初の先生の処置も
良かったんだと思える
本人もホッとした様子
昨日は
もしかして別れた❓️と
気になっていた彼氏が
車を出して付き添ってくれた様で
それも有り難い
年末年始色々あり過ぎで
お祓いに行く様言われる
けれど
私はそこそこ参拝してるし
全ての着地点は
私にとって不満はないし
(次女はお酒を辞めるそう)
どちらかと言うと
(実父に頼れたり)
有り難い所に落ち着いてる
遺品整理は大詰
本当に大切な物って
なんだろう