天職に出会うには?その3 治療の中断と差別と偏見 | 塚越友子(臨床心理士・公認心理師)オフィシャルブログ Powered by Ameba

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築地駅徒歩1分のカウンセリングルーム 東京中央カウンセリングの心理カウンセラー(臨床心理士・公認心理師)塚越友子が薬に頼らず「うつ」や心の病を治す方法♪&だれとでもうまくつきあえるようになる人付き合い上手になる方法♪を教えます♪

おはようございます


東京中央カウンセリングの塚越です(´∀`o)



では早速その3です。(ここまでの履歴は目次をどうぞ)



さて、闘いが「軽うつ」「肝炎」「すい炎」になった私。


ある日、夜中に激しい腹痛を起こします。

そのころ4人部屋に入っていたので、隣のベッドの方がナースコールを

おしてナースを呼んでくださいました。


夜中で何も処置ができなかったのですが、どうやら腹膜炎をおこして

いるということがわかりました。


朝がきて、担当医たちがしっかり検査をし、手術をすることになりました。

膿がおなか中にたまっていて、大変危険な状態だったのです。


麻酔科医、外科医がそれぞれ説明に病室にきました。

肝炎をおこしていると脳の判断力が鈍っているので、なにを説明されても

ちんぷんかんぷんでしたが、手術しなくてはいけないことだけはわかりました。


なんだかわらからないうちに、手術室に運ばれ、手術がはじまりました。


といっても、全身麻酔なので最初に硬膜外麻酔というものを打つ痛み以外は

手術が終わって目覚めるまで何もありませんでした。


昼間に手術室に運ばれて、回復室で痛くて目が覚めたのはもう夜中に

なっていました。


全身麻酔ですっかり記憶がないので、自分がどうしてこんなに痛みを

感じているのか、トイレに行きたいのに、なぜいかなくていいと看護師さん

がいうのかわかりませんでした。


そう、トイレはカテーテルがはいっているから行く必要はないんですね。


でも私はわからなかったので、目が覚めるたびに、

「トイレいかなくちゃ」「痛いよ」と言っていたようです。


今でも、時どき、あの薄暗い回復室での風景を思い出すことがあります。

結構手術よりも回復室の自分がどんな状態なのかわからないで、暗い夜を

すごしている恐怖の方が印象的です。


さて、朝がきて、私もやっと状況がつかめたところで、すぐに歩行訓練に

なりました。


カテーテルが痛いからはずしたいと騒いでいたので、じゃぁ歩けなくちゃ

はずせないよね。ということで、歩行訓練です。


おなか、へそ下15センチほどを切っていますので、それはそれは

大変な激痛と闘う歩行訓練になりました。


しかし、この時はカテーテルがはずしたい一心で、病室を歩き、

そして、廊下を歩く、看護師さんが1歩1歩を応援してくれて、

最後歩けるようになった時には大喝采でした。


歩くことがこんなにすごいことなんて、はじめて知りましたね。


腹膜炎になってしまったので、肝心のインターフェロンの治療が

できなくなり、手術から1週間後、退院することがきまりました。


1年くらいあけて、もう一度インタフェロンをやりましょうという

治療方針になったのです。


それまでは、月1で検査をし、ウイルスの状態を見ると決まったのですが、

人生そんなに甘くなかった…



1週間後に具合が悪くなり、発熱とむくみがひどく、診察に行くと

肝臓の数値がまた入院しなくてはいけない300を超えていたのです。


3ヶ月入院して、退院したと思ったら1週間後また、入院です。


今度はインターフェロンが使えないので、ただひたすら安静に寝ている

だけ。


もう早くでたくて出たくてしかたがなかったので、自分の念ずる力で

数値を下げてやる!とずっとベッドの中で、


「明日になれば、数値が下がっています。毎日順調に下がって

1ヵ月後には退院できます」


とひたすら唱えていました。


まだ、この頃は、いわゆるアファメーションなんて言葉を知りも

しなかったのですが、自然にやっていたんですね。


めでたく、1ヵ月後退院できたんですよ。



これでやっと、無罪放免。1年後までは、何もおきませんようにと願い、

仕事探しです。


しかし、世間は冷たい。病気に理解がないので、C型肝炎だということ

だけで、ばい菌扱いだったり、差別を沢山受けました。


C型肝炎は、血と血でしかうつらなく、輸血か注射針の使いまわしで

しかおきないのですが、みなさん過剰に反応し怖がるのです。


(ちなみに私は特定はできませんが、発症直前に歯医者に行って

 治療をしていたので、その時の麻酔の針からだろうということに

なっています。そうなんです、みなさん、町の歯医者さんはコスト的に

注射針を一回一回変えられないので、感染することが多いのです。

一時期、社会問題になったくらいです。

多少高くても、注射針や道具を一回一回新品で治療してくれる歯医者

さんにいきましょう)



そこで、仕方なく、医師に他者に感染しないという文書を書いてもらい

なんとか派遣の仕事につくことができました。


ここでは、軽うつと月1回平日に医者に通うということで、休みがち

で結構、キツイことも言われたり、していました。


まぁ、1年後にはまた入院で辞めるし、引きこもるよりはと思い

仕事を続けていた感じです。



そして、1年後、こんどこそウイルス0にするために、希望を胸に

入院治療をはじめることになりました。






しかし


またもや人生甘くなかった。もっとすごい試練が待っていたのです。



続きはまた明日


今日も最後まで読んでくださいましてありがとうございますあひる



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