(前日からの続き)
ところで、私たちは、生まれていろんな所を
ふるさとにもっているんだけれど、で、
ふるさとを離れて過ごしている人もたくさん
いるんだけれども、私のふるさとは何か
というと神ですねえ。神への郷愁という本を
書いたけれどもね、これはもう変わることの
ないふるさとですね。神様というのはね、
これはもうとてつもなく大きな愛でしょう。
で、その愛というのは高くて、そうして
もう何ともいえない安心感、ここへ帰って
いけば間違いないですよ。絶対に間違えっこ
ないんです。だから、私たちは安心して文句も
言えるし、恨み言も言える。とにかく神様
なんだから。しかし、我々はそこへ帰る
ということだけではなくって、そこへ出発点
にしてね。そこがふるさとなんだということ、
我々は神のふるさと人なんでね。原稿にも
書いたけどさ。そのふるさと人である我々が
神様というふるさとから出発して、いろいろな
所へ光を撒いてるんだということねえ。
そうして、エネルギーがきれたら
そのふるさとへ戻ってね、神様お願いします
といって、祈って、そして、光をもらってね、
また働く。こんないいことはありませんねえ。
このふるさとはなくならないですよ。
例えば、日本では、あるいは世界だって、
今土地が狭くなって、海を埋めたりとか
やってますでしょ。新しい都市ができて街が
できて、そこへ移り住んでやってるけれども、
そのふるさとというものはね、ある時ダムに
沈んだり、いろんなことが重なって、その
ふるさとの原形そのままというのはなくなり
ますよね。ところが、このふるさとは
なくならないんだね。このふるさとは
なくなりっこないんです。これは我々の魂の
元の元ですもの。神様というのはそうですよ。
我々の元の元でしょ。その元は
なくなりっこないんです。
我々の生命だって、ずっと生き通しだと
いうのは観念論じゃないんです。本当に
ずっと我々は抱かれてゆくんですけど、
それはこの神様というふるさとをもってれば
こそね、我々はそういうものを実感する
ことができる。あたたかいんですよね。とても
あたたかい。ちょうど私の母の絶対の信頼の
ようなね、そういうあたたかさですね。それが
あるから、それを自分の体の中に貫いて
見ちゃったから、私は本当の私に出会っ
ちゃったから、だから、私はあなた方に
自信をもってね、間違いのない世界が神様
という世界があって、大きな愛があって、
それによって我々が生きているんだという
ことを語りつぐことができる。これは間違い
のない事実ですね。それは五井昌久だけに
あるんじゃない。皆の中にあるんですよね。
そういう信仰は、五井先生だけで五井先生
ならではだと皆言うけれど、そうではない。
ならとか京都じゃないんです。皆が同じ
ふるさとをもっていて、そして、その
ふるさとが絶えることがなく我々の中にあり、
我々が帰ろうと思えば、そこへいつでも帰る
ことができる。そこを思えばね、我々の
エネルギーも何もかも新たにされていくと
いうことですよね。そこを忘れてというか、
忙しくなっちゃうと皆この世の中だけに
なっちゃうけど、そのふるさとへ帰ろうと
思えば祈ればいいんですからね。祈って、
そして、神様の名を呼んでね、守護霊さん
守護神さんの名を呼んでねえ、やってる時
にはあなた方はもうふるさと人ですよね。
ふるさとへ帰ってる訳ですよ。いつでも
帰れる。いつでも癒してもらえる。そういう
ものを我々は皆もってるんですね。だから、
この我々の宝というもの、朽ちることのない
ふるさと、神様というものを大事にして呼び
かけて、そして、皆が神様の愛を受けた子ども
なんだということを覚えてね、毎日毎日が
過ごせてゆけるように、どうぞ精進なすって
下さい。
昭和63年8月26日