短 信(12) | 光のエレベーター

光のエレベーター

光のエレベーターに乗ってみませんか。
光にそっと乗るだけであとは輝きながら
昇ってゆくだけ・・・大丈夫!
五井先生、ありがとうございます。

 拝復

 人間界に呼びかけるのに、人間の

心のこもった言葉以外で何が出来る

というのかという点について、私は

今一度かいてみたいのだ。


 ただいたずらに自分を高みに

おく者を僕は信じない。人間という

ものの真性を、等しくみんなが

理解するためにも、言葉というものの

やさしさ、深さを極めることは大事だ

と思っている。やさしさというものは

極めてゆけば強さにつながる。しかも、

その強さは、人間の心の内奥をつつむ

ものであると僕は思っている。

 この強さを獲得するために、人は

さまざまな道のりを経てゆかなければ

ならない。どこをどう点検しても、

強さにつながらない道を歩かせられる

場合もあるのだ。しかし、その道を

歩く時間も、永遠という神の眼から

みれば瞬間にすぎない。君の道筋も、

永遠につながってゆくものだ。


 人間界は、神界に到るまで顕われの

世界だ。そのあらわれは、人の心が

つくってゆくものだということを理解

できれば、この世の争いもなくなって

ゆくのだがと思う。おもいだけでは

この世はよくならない。おもいを祈りに

高め、祈りを光にかえて、僕等の本心の

なかに光体をかがやかすことこそ、今、

つとめるべきではないか。今この時期

だからこそ、一人一人の光をつよめて

ゆこうではないか。祈りのなかに

僕はいる。世界人類が平和であります

ようにという祈(の)り言のなかに、僕は

いるのだ。五井先生は遠くにいるのでは

ない。ここにいるんだよ。一人一人の

なかに、君達のなかにいるんだよ。


 自在身のよろこびと、それゆえの

切なさとを、今、僕はしみじみと味わって

いる。しかし、真理の光─神の愛は

こんなことでいささかもゆらぐことは

ないのだよ。僕は白光を愛している。

 白光につながっている同志の

一人一人を愛している。しかし、僕の

念願は、その君達の祈りを結集して、

真の人間の進化にむけてのそなえを

一日も早く成し遂げたいということだ。


 神界の光を、今地上に放射して、肉体を

持ったまま霊人になってゆくという、今は

そのはじまりの時なのだよ。人間という

ものの奥深さ、光の朗らかさを、祈りの

なかで覚えて欲しい。それは元々、我々

人間のなかにあるものだ。君のなかにも

あるのだよ。(疑ってはいけない)

 人のおもいを澄ませていれば、その時、

人は自然に光になってゆく。光という

ものは、闇を照らして心と心を結ぶものだ。

 そしてその心は、僕にも通じて

いるのだよ。


 この頃僕は、人生の真実ということを

考えている。真実に人生(天命)を走り抜く

ということは、人の力だけではできること

ではない。その背後に、守護霊、守護神が

あり、神の愛があり、ゆるしとみちびきが

あって、はじめて走りとおせるのだ。

 けれど、ここで僕は、へんに宗教の話を

したくはない。人生の真実を完うしよう

とおもえば、やはりやさしさなのだよ。

 どれだけのやさしさを人から受け、

より以上に人に返してゆくかという

ことなのだ。宗教などという面倒な

言葉より、ただ、あたたかい、やさしい

雰囲気を持った人として生きてくれる方が、

僕ははるかにうれしい。宗教にも

とらわれずにいてくれ給え。世界平和の

祈りは、そして僕は、そうした君の助けを

してゆくわけだけれども。


 やさしさというものは、人の痛みを

覚えているとやさしくできるものだよ。

 相手に身をおくということだ。僕は

それをずっとやってきた。地上での

六十余年はその連続だった。そして、

今もそうしている。やさしさの極みは

神の愛だ。しかし、神の愛を仰ぐ僕らの

やさしさを目ざす旅は、これでいい

ということがない。お互いに、自己の

本心をかがやかそうではないか。


 僕が今、寂しさの中にいることを、君は

承知してくれていることとおもう。この

寂しさも、真理の前に一瞬にすぎるもの

だとはおもう。しかし、寂しい。それは

僕が認められないからではなく、人が

神の愛のなかに素直に溶け入るため

には、どれほどの時をついやさなければ

ならないのかということを観じ切った

上での寂しさだ。こんなことを書くと、

君は困るだろうか?


 僕が神界に帰って、より人間らしく、

生き生きと、人のこころを持って生きて

いることを、僕は伝えたくて

たまらないのだよ。僕だけではない。

 人はみな、こんな風に生きているものだ

ということを伝えてゆきたいのだ。そうする

ことで、みんな本当の意味での安心を

得られるのではないか。五井先生だから

できているのではないのだよ。君も僕と

おなじなのだよ。すなおであって欲しい。

 よろこびにも悲しみにもすなおであって

欲しい。僕に遠慮する必要はない。

 背のびをする必要もない。神様に

かっこうをつける必要はないのだからね。


 言葉は言霊だ。光がとびかっているのだ。

 言葉に光をやどすのではなく、元々光が

言葉になっているのだよ。

 又追伸をかくかも知れないが、とりあえず、

この短信をおくることにする。ほがらかに

生きてくれ給え。
              昌 久