(前日から続く)
自分が生きているんじゃないんです。
我々は生かされているんです。そのことを
皆んなが忘れてしまう。すべてが神様の器
であって、もう神様に預けてしまえば、そこから、
その人の個性を使って、声を使って
身体(からだ)を使ってね、その人のそれなりの
働きが、神様から、お前これをやれ、あなた
これをやって下さいというのが出て来る
わけですよ。だけど、自分なんかどうも
働きがうまく出来ないとか、うまく印が
組めないからどうしようとかで焦る。
焦るのは自分がやろうと思うから焦るのね。
自分というのを消していく。自分というものが
消えていった時に、ただあるものは神様の光
だけが残る。我々は光なんだから、光
というのは自在なんだから、自由なんだから、
その自由な生命のままに動いてゆけば、何事も
出来るんです。神様がなさしめて下さる
わけですね。
ですから、私がやろうと思ってはいけない。
私が責任を負おうなんて思わなくていいんです。
そんなものは神様の方で、五井昌久という
人間を通してなされる。「お前、人類の業を
背負え」と言われて、私が負ったんですから。
もう歯をくいしばって、目をむいて、そういう
ことをやる必要は一切ない。四次元の光も
降りたんだから。まだ追いかけて、業を背負う
なんてことはしなくていい。ただ、その人が
受け持たなきゃいけない宿題というものは
ありますよ。固有に消してゆかなければ
いけないものが来るかもしれない。痛みとして
来るかも知れない。あるいは、生活不安として
来るかも知れない。しかしそれは、あなたがあ
なたの借金払いをしているんですよね。
(翌日へ続く)