信仰生活に入ると、かえって、それ以前よりも、不幸な
出来事やいやなことが連続しはじめた、目につくように
なった、これをどう考えればいいかという御質問のように
おもいます。
信仰というのは、たしかに楽なことではありませんで、
つねに裡をつとめてゆく、そうして、人間は光なのだ、
ということを教えられる、あるいは、神様という方は、いつも
人間を愛していらっしゃるのだということをきかされて、
実際、自分でもそう思うけれども、とにかく、そう思えば
思う程苦しい時があるのであります。
これは、人間の本来性、本心の光が、消えてゆく姿と
なってあらわれて参ります時に、業想念が光を
あびようとして、寄ってくる、その苦しみを、私どもが、
身に心に感じるのであります。
けれども、とにかく守護霊、守護神、そうして神様への
お任せのいのちでありますから、苦しい時に、その苦しさを
感じる自分が駄目だとか、、あるいは、こういう風に悪い
ことがつづくようでは、まだ自分は本当の信仰に入って
いないのではないかなどと、一切おもうことはありません。
神様というのは、絶対の愛である、無限の愛である
ということを、かたく信じて、消えてゆく姿で世界平和の
祈りを実行していただきたいということとともに、神様は
ただ、光ばかりをおあたえにならない、その人の魂を
つよめ、また、光をますますかがやかせるために、
時には辛いことを連続させることがあるということを覚えて
いただきたいのであります。
どうぞ、力まず、背のびをせず、やさしく、明るく、
たくましいいのちに、あなたのいのちを育てていただくように
お祈りなすって下さい。
私も、日々、おぼえて、祈らせていただきます。
合掌
世界人類が平和でありますように
昌久