信仰深く生きていると言いながら、
愛を与えることなくして生きているということはないのです。
なぜなら、
信仰とは、真実の神を念い続ける心であり、
神を念うということは、
神の持っておられるものを己れ自身も持ちたいと、
必ず思うようになるからです。

では、神がいちばん念っていることは、いったい何ですか。
それは、あなた方一人ひとりに対する愛ではないですか。
そもそも、あなた方を創り、
あなた方をこの地に満たし、
あなた方に光と水と食糧を与え、
何度地獄に堕ちることがあったとしても、
それで命を消滅させることもなく、
連綿とその生命を長らえさせ続けている神は、
愛の塊でなくて、いったい何でしょうか。
それは、愛以外のなにものでもないはずです。
信仰というものが、神へと向かう道であるならば、
その信仰が本物であればあるほど、
あなた方の愛は深まり、
あなた方の愛は本物となってゆくはずです。

本物の愛とは何か。
それは、まだ悟っていない人たちに対して、
あなた方が何をするかということではないのか。
その一歩をなんとするか。
その一言を何とするか。
それが愛ではないのか。
あなた方は、今日を境として、
信仰心に目覚めなければならない。
信仰心に目覚めたときに、
あなた方は真に強くなるであろう。
あなた方は鉄の柱となることができる。
信仰を知ることによって、実践することによって、
鉄の柱となることができる。
あなた方は、信仰を実践することによって、
青銅の扉となることができる。
いかなるものも押し破ることができないところの
青銅の扉と化すことが可能であるのだ。
あなた方は、この信仰という二文字をもって
鉄の柱ともなり、青銅の扉ともなることができるのに、
なぜそのような、か弱き存在でい続けるか。
強くなれ。
勇気を持て。
立ち上がれ。

以上、「青銅の法」――人類のルーツに目覚め、愛に生きる 大川隆法著(幸福の科学出版刊) 

明日を変える言葉④より
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