子供が生まれると

いくつから習い事?

なにをさせたらいい?

予算に、曜日に、距離、そして子供の好きを追い求めて決めがちな習い事。

小学生にもなると

自らあれやりたい、これやりたいと
言ってきてくれる子もいるかもしれない。

でも

2歳、3歳から習い事をするのに

明確に好きを宣言してくれる子は限られている。
赤ちゃんからとなると尚更何を基準に決めるのか。


全ては大人次第。


子供は大抵のことは楽しく

泣く理由はこの場所が嫌、ママといたい、お腹すいた、眠たい
などで、決してその習い事自体が嫌なことは少ない。
タイミングもある。
一年後にはあんなに泣いていた体験レッスンが嘘のように、楽しく笑顔でこなすようになっていたり、
一人一人スタートのタイミングがある。



大人が決めなくてはならないタイミングでの習い事をスタートするとき

成長し、自らこれやりたい!の気持ちに応え教室探しをするとき

13年子育てをしてきた

私が習い事の決め手にしてきたことがあります。

それは

障がい児と言われる子供
グレーゾーンと言われる子供


を受け入れている先生かどうか、でした。


私は実際、障がい児を育てた経験はありません。
だからと言って、決して育てやすい子を育ててもきていない、と思っています。
俗に言う、落ち着いていておとなしい子、からは程遠い我が家の子。笑
初めての子育て時代、長女がチャイルドシートのベルトをくぐり抜けて運転中に運転席まで来たときはさすがに泣きました。
なんで、チャイルドシートにも座っていてくれないの?かと、母に助けを求めましたが【実家から車で15分の距離に車を停めて電話しました】
それでも母親?しっかりしなさい。子供が泣き疲れて寝るまでそこにいたらいいやないの。そんな子にしたのは自分でしょ。
と言われ電話を切られた。
あぁ母親になるってこれを一人で耐えなければならないことなのか。とも考えたけど、どこかで腑に落ちない自分との戦い。
何で娘がチャイルドシートのベルトをくぐりぬけて運転席まで来たのか、その気持ちから考えて理解して行きたいと思うようになりました。
遅かったけど、私の自立の一歩でした。


子育てについて深く考えていくほど
どんな子供からも親子で学ぶことが必ずある。
と思えました。子供だけじゃない。
大人の自分も変わると思いました。

それを知っている先生に

我が子を託したいと思いました。
ただ、ただ私がそう思ったから。です。

長女が初めて通った英語教室には

大きな心臓病を抱えた女の子が通っていました。

その後、公立の小学校に彼女は一人で通えなかったけど、

先生は胸の大きな大きな傷を

勲章だね!と言うようなステキな先生でした。

我が家の2人が通っているピアノ教室にもダウン症の子がいます。

実際、障がいを持った子が通っていない習い事もありますが、それはたまたまその時にいなかっただけで

先生は受け入れ可能としているところでした。
【体の事で受け入れを不可にしている習い事でも断り方や、考えをしっかり聞いてきました。】

何を習うか

よりも

私はその先生、教室の考え方を重要視してきました。
小学生くらいからはもちろん本人の意見も聞きながらになりますが。


だから、私自身

どんなお子様も受け入れて行きたいと思いお教室をしています。
【状況に応じてマンツーマンやクラス変更もします。静粛のお時間クラスは可能かどうかの判断はさせていただきます。どちらの立場の方もご相談ください】

発達障害かも?

自閉症かも?

医師ではないから専門的な援助はできなくても

モンテッソーリ教育にできることはしたい。

そして、周りにもいい連鎖を生みたい。

綺麗事かもしれない。

リスクもあるのかな?

私じゃ無理なのかな?

傷つけることもあるかもしれない。

決して楽な事だとも思わない。

たくさん悩みますが。。


早期教育を求める方には不向きな教室方針かもしれないけど

お受験に必要なことは

落ち着いて大人しくすることだけではない。

できる子、できない子にわける世界が全てではない。

ひらがなが読める、足し算ができる、

それよりも

もっともっとその先にあるもの。

その先にあるものの為に必要なのは

どんな子でも

1人の人としてありのままを受け入れてくれる場所と大人なんだと、私は思っている。
【ならボランティアでもいいじゃないかと言う話にもなるけれど、たった一人でオーダーメイドな先生をするには無料では抱えきれなくなるのが現実なのでお教室をさせて頂いてます。ではなぜ一人でするのか?自分の想いをだれかに託す手段が見つかっていないからです。多分、私は何を聞かれても明確な答えは持っているつもりです。とにかく必要としてくれる方に届けたい。でも、だからと言っていつも何事にもこうあらなければならない、という答えではない。答えはどんどん進化も退化もしていきます。その柔軟性がきっと大切であり、モンテッソーリ教育に繋がります。】

でも障がいのある家族がいると言うのは、現実はきっと想像以上のことがあって


私がみている景色とは全然違うんだと思う。
実際経験をしたらきっと答えは進化も退化もするだろう。

だからこそ、家族だからこそきっとできない事、思えない事があるはずで

他人だから

一歩距離があるからこそ

もしかしたら見せてあげられる景色もあるかもしれない。

医療の現場だけではない壁のない世界があるかもしれない。

そんな先生でありたい。

そんな事を考えている。


早期教育を求めることが悪なわけではない。
お受験も子供が望むなら悪ではないです^_^

きっとそれも何かの力になる時がくるかもしれない。

実際、育てやすさも実感できると思う。


でも

まずは

我が子にどんな人生を送ってほしいのか

その軸を定めるのが親の務めなんじゃないかなと思っている。

大人がしっかりとした軸があってこその早期教育と言われるものでなければ、土台が不安定なまま上物だけが立派に見えていきかねない。
上部が美しく見えても
その子の本質がどこにも見えなくなってしまうのは私なら一番怖いと思ってしまうから。


周りの出来る子達にあせったり

流されたり

比べたり

健常児の親でも障がい児の親でも

軸がなければみんなそうなるものだと思います。

だけど

それはゼロにはできなくとも後回しにくらいなら大人が訓練すればなれる^_^

大人が訓練する必要性を感じるかどうか。

感じてくださる方が私のお教室を必要としてくれているのかもしれない。
大人だって環境で変わるから。

周りが自分の子供と比べる人ばかりの場所では
なかなか
比べない!!
を維持することは難しいと思うから。





私は我が子たちに

幸せな人生だった

と思ってもらいたいと言う軸がある。

そこで止まるとそれまでで

幸せの価値観が親の価値観で動いていく。

良い学校?できる子?普通でいい?人並み?

大人が何を幸せとするのか、まで考える必要がでてきます。

私の場合

幸せな人生にするためには

彼女、彼達が

なるべくあるがままの姿で生きていけるという事

あるがままの姿で自分が生きるためには

まず、誰かのあるがままの姿を、受け入れられる強く優しい人間になること

自分を認めてもらうには

他人を素直に認められる強さと優しさが必要だから

だから、私はモンテッソーリ教育に行き着いた。

お金があるない
勉強ができるできない
可愛い可愛くない

そんなものさしを持たないことが

子供たちの幸せに繋がると私は信じている^_^

子供は親に洗脳される生き物です。
だから、親の私が気をつけなければならないことでもある。

迷子になりかけた時

私はミスチルを聴く。私が迷子にならないのはこのフレーズがあるからです。


富を得た者はそうでない者より
満たされてるって思ってるの!?
障害を持つ者はそうでない者より
不自由だって誰が決めんの!?
目じゃないとこ
耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ
見落としてしまう
何かに擬態したものばかり



何か軸を持って子育てをするには

軸がある先生のいる習い事!

となり、今に至ります^_^

そんな日常の先にあるものが勉学だから、

今のところ決して勉強もできない子ではない。

モンテッソーリ教育で知った

小さな達成感の積み重ねで

先日のピアノコンクールでも金賞受賞。

スタートが早くはなかったピアノでも

結果はついてきてくれている。

でも、結果よりやっぱりそれまでの緊迫感や、努力の方がきっとこの先の人生で役立つんだろうなとも思っている。

障がいのあるお友達がいてくれたおかげで

落ち込んでいるお友達、小さな子への優しさ、思いやりにも繋がっている。

私だけではきっとそこまで育ててあげられなかった。
やった!!勝った!!
それだけでは人生は豊かにならないから。


子供に達成感を感じてもらうには失敗はつきもの。
だから、まずは大人の私も失敗していく覚悟を持って日々仕事も頑張る姿を見せている。

ママだって失敗します!こうあらなければならないことなんてないのです。
ミスのない人なんていない!
綺麗なアスファルトの道だけを歩く姿は必要ない。
失敗したっていいんです。完璧になんてならなくていい。もはや開き直りも必要です。笑
私は開き直りの人生です。笑
そもそも完璧って何?って思っています。笑
でも達成感を感じるまで、とにかくもがきます。そして達成感を感じたときは全身で表現しているつもりです。笑
大人が失敗や、恥を恐れなければ子供は無限大。

現実的にできること、できないことももちろんある。
責任感は大切で
無責任に受け入れます。とするよりも
責任感から受け入れられません。
を選択する場面もでてくるのかもしれない。

だから、


早期教育の重要性、障がい児を受け入れられない先生
早期教育だけではない、障がい児を受け入れたい先生

どちらかをけなしているわけでもなく
ジャッジが必要なわけでもなく
ただ、私は後者です。
と言うはなし。

自分はこうです。

と言えることが大人にも必要だと思っています。

あせらない。長〜い目を持ち続けたい。
10年、20年先の子供達の幸せを願い^_^


誰かの子育ての参考になれば幸いです^_^


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