何かを失ったとき

【ない】という気持ちに一気に落とされる




そんなことはありますか?

わたしはありました。




つい最近も

【ない】とか【失くした】に囚われて




ずーーーんと沈みました。




コレはいかんと思っていたら

ある方に




失くしてしまったなら

今ある場所で続けたら?




そう言われた瞬間は

あまりピンと来ていなかったのですが




ある日ふと

あーーーっ!そういうことか!




急に肚おちしました。




わたしはいつの間にか

万事受け身になっていて




自分から何かを掴もうとか

自発的に何かをしようとか




そういう気持ちがなかった。




だから【ない】【ない】

【失くした】【失くした】と




そちらばかりを見ていて

見れば見るほど深みにハマっていたなと。









【ない】ではなく【ある】を見よう

他人には容易くそれを言いながら




自分には何も無いと

ウッカリ思い込んでいました。




思い込みって怖いし

視野を狭くする。




そこに立ち返った瞬間

【置かれた場所で咲きなさい】と




メッセージが聞こえました。




確か本のタイトルだったような?

調べてみたら




渡辺和子さんという

修道女さんの本のタイトルで




Google先生が

著書の一部を読ませて下さり




あー、まさにコレです。

心底思いました。




どこにいても

何をしていても

わたしはわたし。



わたしらしく

わたしが今持つもので

表現し続けていれば良い。




まずはそこで輝こう。




それが出来ないで

どうして広い世界で輝けるのか?




これまでの経験は

ただ単に奇跡の連続だっただけ。




わたしはまだ

自分の場所で咲いていない。




なんなら…

花芽すらつけていない。




自分の場所で

いまやれることをしていこう。




あー本当に

いつの間にか受け身になっていたなぁ〜。




怖いアセアセあせる




あなたもね

もしもいま【ない】とか【失った】とか




そういうことに囚われていたら

どうか視点を変えてみて。




それは

本当にないのだろうか?




それは

本当に失ったのだろうか?




いま

自分が置かれている環境で




同じようなことは

出来ないだろうか?




なんとか続ける方法は

ないだろうか?




見えていなかったことが

見えてくるかも知れません。




置かれた場所で咲けたなら

きっともう




【ない】とか【失くした】とか

そういうところに囚われなくなる。




そのためにはやっぱり

今いる場所で




今出来ることを

コツコツ続けることが大切なんだな




わたしは思っています。