闘病記(文中個人名はプライバシー保護のため仮名)
2020年72歳2回目の脳梗塞を旅先のタイ王国チェンマイで発症し(2月15日頃)、現地チェンマイの病院に入院(2月19日)し、帰国を息子に助けられ、命からがら慈恵医大に救急車で緊急搬送(2月26日)され、命を取り留めた。
今回は前と違って、右脳幹部を梗塞し、5日位放置した結果、左半分の腕と足に麻痺が残り、発症後1カ月(3月22日まで)は慈恵医大で治療とリハビリを続け、その後(3月23日から)原宿リハビリテーション病院に転院、現在に至っている。今日は、4月16日すでに、24日間、半月以上も此処で闘病している訳であるが。良いも悪いも気持ちの持ちようと言うが、転院当初此処は厳しい所とは聞いていて納得していた積りでいたが、リハビリが厳しいのではなく、管理が厳しいということだった。入院して3日間は独房のような地獄を経験した。柵囲いのベットに寝かされ、トイレに行くのもナースコールを義務つけられ自由が利かない、体を動かせないので、筋肉がなまって動かなくなって行く。しかし、我慢の一言、ともかくも「紙おむつ」でトイレをじっと堪え、3日を堪え耐え抜いた。3日間の中でも2日目からベットからトイレまでを独歩の許可を貰い、つぎに体力テスト(歩行、片足立ちのバランステスト等)を行い。1週間の後には病棟内(5Fのみ)の独歩の許可を得た。とにかく歩かないと、入院以前の状態より悪化すると担当の理学療法士に訴えテストの結果医師に認められたからだ。やっと、事態が打開され、地獄も天国へと変貌したのだった。折りしも世間は新型コロナウイルス騒ぎで自粛制限下、外出、集合出来ない深刻な事態となって。ついには、非常事態宣言(東京埼玉千葉神奈川大阪神戸福岡などが)で外出自粛モード、街中のデパート、商店、外食店など軒並み閉店した。そしてついには全国中非常事態宣言下に置かれた。
院内も4人掛けテーブルで楽しく会食していたものを、個別のベットサイドで個々にさみしく食事をすることになった。
自身、何とか状況を打開し、より楽しく有意義な闘病生活を迎えるべく身辺整理から始めた。普段使えない時間だけはタップリある。
① 旅行先に持っていった旅行バックのセット。慈恵医大に救急搬送された時に自宅に持って帰ったノートパソコンを再び転院前に届けてもらった。そして慈恵医大は、wifi環境も申し分なく利用でき、院内にローソンなどコンビニもあり、最初は妻に同行して貰い、amazonで購入したものを現金かスイカ等で支払い自宅に届け、それを妻に運んで貰って(タブレットやジャージ、ホワイトデイチョコレートなど)いて天国状態だった。が原宿リハビリテーション病院に移ってからはWIFI環境は最悪で、電波弱くて細くて使えない。そこで、自宅から映像コンテンツが収録済みの4Tと3TのHDDを持ってきて貰い、多くの映画が楽しめる環境を手に入れた。
② また、アマゾンの買い物は、クレジットカードで買えば病院の事務員がベットまで届けて貰える。なので、タイで使えなかったプリペイドVISA残金9万チョットをアマゾンで使えるように切り替え安心して購入出来る環境を手に入れた。現金も10万ほど財布に残っているが使える環境にまだない。
③ そこで、タブレットを使いこなし、充電環境を整え、SDカードやマイクロSDカードを買いそろえタブレットや取りためたHDD映像の観賞環境を整備した。
④ TVの視聴環境を最大限に整備するため自宅のDVDプレーヤーを持ってきて貰いTVのHDMIに配線。ブルーレイ媒体さえあれば録画だって可能だし家で撮りためたハイビジョン映像が再現できる。
⑤ 病室環境をインテリアしたいので、 ダンボールに壁紙の補修材を利用しまずはパワーステーションとそれ以外のいろいろな家具を製作し、また、造花を飾りひと時の安らぎを醸し出したい。
⑥ このような工夫を凝らし、苦しいはずの闘病生活を楽しく前向きに過ごして行きたい。

さて、後期高齢者でもう直ぐ73歳の私がリハビリで20歳代の若き男・女子に相手して貰えるとは夢にも思わなかった。慈恵医大では30歳代の黒ぶち眼鏡の「足」担当先生と40歳代女性「手」担当作業療法士フクチャン(先生)の(色白でまあまあ美人)。私の相棒は65歳の土木建設職人「シンチャン」と二人でおしゃべりしながら今日は1万歩歩いたとか8千歩歩いたとか競った思い出があり、医師はやさしいTT先生(治療中にも関わらず飛行機に乗るとはなんと無謀でとうてい考えられない4自殺行為だと叱られたがもう済んだ事だからと今は治療に専念しようとやさしく励ましてくれた)、看護師も順看護師も親切な子ばかり、中にはすごく賑やかな若い子がいて(元気ちゃんと命名)それはそれで楽しく、日々時間を忘れ過ごしていた。相棒のシンチャンが25日転院で自分が23日転院で2日ばかり早く去ったが別れもそんなに辛くはなく、お互い転院先の不安が募っていた。
まあ、それだけ慈恵の入院生活がそこそこ楽しかったことに他ならない。しかし、ここ原宿リハビリテーション病院に移ってから、事態は急変した。入院当初はいろいろ精神的に葛藤があった。ひとここち着いてからは、考え方が大きく変化。物は考えようで、①若い20代そこそこの女の子と触れ合う機会など全く想定外なラッキーな事象である。勿論、この年齢の年寄りが満員電車で側に寄っただけで、忌み嫌われる存在なのに、向うから親しく触れて俺の体を摩ったり揉んだりしてくれ、なんとも心地よい。まさかの出来ごとである。もちろん経験も酒も無いが思うにキャバクラ以上のもてなしだろう。
男の療法士でも若く手も強くやさしく、整体(さすって)してくれる。ものすごく心地よく爆睡してしまうことも稀にある。とにかく一生に一度あるかないかの天国を味わうことが出来るのはもはや幸運と言えよう。死ぬ前にこれほどの経験が出来るなんて思っても見なかった。千載一遇の幸運と言えなくもない。
勿論、この年なので、下心やテレ等もなく、ひたすら柔らかく、どことなく漂ってくる清潔感あふれる香りに酔いしれる天国感を味わう。タイマッサージもこれほどではないだろう。また、リハビリ中のおしゃべりも楽しい、結構自分の体験談や療法士達の将来性や結婚話、コロナウイルス騒ぎの影響とか話題が尽きない。他の療法士の話題や情報も面白い。40分と1時間と時間はいろいろだがあっと言う間に終わってしまいとにかく時間を忘れるほど面白い。担当して貰った各療法士の名前と特徴は下記に思い出話に記録した。
担当の看護師笹渕看護婦さんもやさしく面倒を見てくれている。今は2人部屋の病室だが、窓側で景色も良い。目の前に写真専門学校だろうか、屋上とか下の路上で生徒同士が写真を撮り合う光景が良く見える。夜景も美しく、ときどき上空に最近開通した路線の羽田空港に行き交う飛行機が直ぐ上に映る。また2人相部屋の相方さんは九州熊本県出身で此処の病院は九州人の経営者の関係でとにかくスタッフに九州人が多い。熊本人も多く相方さんの周りにはいつも熊本弁が飛び交う。女の子から、ナニトット?(なんで寝てるの?+なにしてるの?)とかわけわからん方言が交差する。相方さん自身がそれに甘えていて、わがままな自分勝手の立ち居振る舞いを行う。すると、あちこちから人が集まり、注意をしたり、警告したりと大騒ぎをする。お風呂では、女の子たちが「思いやりがナカトと、おお騒ぎしている。本人甘えているのか、我がまましてるのか、とにかく手が掛り過ぎるが、何度叱られても繰り返す、非常識な人間だ。しかし、同じ患者には、なんともなく人当たりが良い。九州弁を使うスタッに甘え過ぎの感がある。ダメと言われても、ベットの柵からは足を出したり、全ての行動にナースコールして同行せねばならない監禁状態なので、ストレスは貯まる一方だが多分私と同じく楽しんでいるのだろう、スタッフも一人の患者にづっと構ってられないから、それをいちいち言うのだが、本人は全然聴いてないし気にかけている素振りもない。それの繰り返しで日々が明け暮れる。深夜のいびきや喚き声などありきたりだが、気にして眠れない程ではない。むしろ夜中に何度もトイレに立つ自分の方がサンダル音のパタパタが煩くてしょうがないと思われ恐縮してしまう。
昨今新型コロナウイルスの騒ぎで、感染者が国内で1万人を超えた。全国非常事態宣言が実施され、外出が制限され道や電車も人の気配はせずひっそりとしている。此処病棟内も食事の相席は禁止され、多くはベット側に配膳されさびしい食事を余儀なくされている。また、定時に窓開けが実施され寒い時を余儀なくされる。暫くの辛抱だが辛い。