今日、娘とジブリ美術館に行った。




 



 


外だけ撮影O.K.なのでパチリ。

どこを切り取っても絵になる。


館内の映画館で観られる月替わりの映画が

「めいと子ねこバス」かと思って期待していったら今日から「星をかった日」に切り替わっていて…Σ( ̄□ ̄)! 娘ガックシ。えーーま、いいけど…


でも、星をかった日は何故かとても切なくなる。特に最後のシーン数十秒ほど。

ここ↓
(本を買った)

また会えるさ


なぜかここでブワッと涙が流れ出す。


娘も、同じ箇所で感動したと言っていて、ネットで検索かけても、「最後の方で泣ける」という感想を見かけ、宮崎駿さんは何か不思議なものを仕込んでるんだなーと思った。





今日はとても辛かった日なんだよね。


午前中娘の宿題に付き合ってるとき、

美術館でも色々我慢をしてて、


私の全部を夫は否定的に捉えているんだということが、自愛とはほど遠い感情へと私を追いやっていた。


私は私を偽って抑えつけて

それで、家族が幸せになれるなら

そうすべきなの? 

私の娘への愛情のかけ方も表現も

夫からすると我慢の一因なのか…

私って私らしくすればするほど

周りに迷惑掛けるのか…


自分を肯定できなくなって

気付いたら、待ち時間とかに涙が出て来るのを抑えられなかった。


娘は私がどうして泣いてるの?と分からず聞いてきた。

なんて答えたかな。憶えていない。


家族三人でいるときの振る舞いをどうすれば良いか分からなくて辛い…

夫からの数々の否定的な気持ちは思い出す度に私を追い詰めていくのが分かった。




帰宅してふと、YouTubeみたら上がってきたこちらの動画を再生した。


https://youtu.be/m75d1GzLudY?si=yYcbZt95q70IrWUx


あ、はせくらみゆきさんだ…


彼女は、マンデラエフェクトや、パラレルシフト、パラレルジャンプの話をしていた。


私達は無数にある並行世界を移動してるという考え方。


こっちを選んだ世界線A

こっちを選んだ世界線B


選択の数だけ、人の数だけ無数に存在する並行世界。


はせくらさんは、とても単純明快だった。


・願う現実の方に想いを切り替えれば良いだけ

・過去のことで「○○のせいで今こうなった」という思いを「○○のお陰で今がある」と言い換える

・子どものように無邪気に、望む現実がすでにかなっているかのように気分に浸るだけ

というようなことを言っていて。



前からこういう考え方好きだったことを思い出させてくれた。


叶った未来を今感じることの大切さを。


また、許せない自分を許すことで現実が変わるということを。


この考え方で自分責めがなくなるって、

分かっていたはずだけど忘れちゃってた。


すごくありがたかった。


私は私で良いんだ。


今目の前の現実があるのは

叶えたいことを叶えるためのスモールステップの1つに過ぎないんだ。


夫が

私とKさんがもし同じ気持ちなら幸せになれば良いと思ってる

というようなことを言ったのも、これはすごい事なんだって。2年前にKさんへの気持ちを認めることをただ抵抗していたあの時は、「不幸になるから止めなさい」という思い込みしかなかったけど。


今どうよ、夫がどうであれ「幸せになれば良いと思ってる」と言ってくれるまでになったんだよ。受け止め方を切り替えない手はないよねってこと。


無理矢理過ぎる勘ぐりかも知れないけど、

夫の(高次元存在の夫、つまりハイヤーセルフ的な潜在意識領域での夫)が、自分が娘を引き受けるからあなたはあなたのままで、彼とくっつきなさいってことで

こういう状況に持ってきたんじゃないかってこと。


それは私の高次元存在の私もそうかもしれない。


夫の立場に立って物事を考えるうちに謝りたくなった。というのは、私自身も現実を動かすために必要な心境の変化や過程だったのでは?という考え方も全然アリだよねって。


過去に

彼が病気がちだったこと

P先輩が超面倒くさくて嫌いだったこと

 

挙げればきりが無い。だが、たとえば上の二点だけみればマイナスかもしれないけど、私とKさんが心を開いて交流するきっかけを作った出来事でひとつでも欠けてたら今はなかったというとらえ方もできるよねって。


私は私で良いんだよ。

今日の終わりにそのことを

はせくらみゆきさんが伝えてくれました。


もしかして

はせくらみゆきさんの出てた動画を観ることを

未来の私は知ってた?

勘繰りすぎか。


でも

元気な私を少しとりもどしたかなと思います。