すずめの戸締まりの歌で
RADWIMPSが作詞作曲で、十明さんがうたった
すずめ feat.十明
https://youtu.be/Xs0Lxif1u9E?si=ikfbS1h4vyy-X-S0
歌詞のなかに
なんで泣いてるの?と聞かれ答えられる涙なんかじゃ
僕ら出逢えたことの意味にはまるで追いつかない
この身ひとつじゃ足りない叫び
君の手に触れたときにだけ震えた心があったよ
意味をいくつ越えれば僕らはたどり着けるのかな
愚かさでいい 醜さでいい
正しさのその先で
君と手を取りたい
という歌詞があって、これは私にぴったりの詞だなって当時思ったの。
正しい道、
周りから見て間違いなく幸せな道、
誰も涙を流さない道、
すべてが当てはまる生き方を選べたら
良かったかもしれない
完ぺきだったかもしれない
でも私が選んでいる道、選んでいく道は
そうじゃない…かもしれない
思えば、彼の存在(付き合っていない)を打ち明けてからの一年数ヶ月で
夫は見違えるように娘と向き合うようになった。娘との過ごすことに多くの時間を割くようになった。
娘も、夫と過ごす時間の方が私との時間より多くなっても私に対してさみしいとか、もっと一緒にいてほしいとは言わなくなった。それはここ数ヶ月の話だ。
(休みの日にバイトは嫌みたいだけど、だからといってずっと私と二人で家にいてもお父さんはー?となる)
幼児期のお母さん大好き、離れたくない
を思い返すと信じられないくらいに
本当にお父さん子になった
最近は本当に私の存在は、「ご飯を作る人」くらいのものだと思う。たまに甘えてきたりするから安心感がベースにあるのだとは分かるけど。だから離れがたい。
夫は娘にとって大きなウエイトを占める存在になっている。
だから今私が家を空ける時間が増えても
大してダメージはないかもしれないけど
やはり娘が帰ってきて誰もいないとか独りはかわいそうだと思ってしまうし
できることは何でもしてあげたく思ってしまう
でも
夫と今朝、話をして
夫はやはり我慢して辛くなるんだろうなと思った。
私といるとつい普通に私と接してしまうけど、私の行動の全てに彼の存在を見るのだと思う。
確かに
私はもう
彼無しの私ではあり得ない
行動の原理がもう、Kさんと出逢う前と後では異なっているから、その違いが夫にとっては辛く感じるんだろう。
Kさんと出逢ってからの変化は私にとっては良いものばかりだけど、夫にとってはそうではない。
気に障って当たり前で。
波長が合わなくなってしまったんだ
私が夫に合わせてた波長が
「私」を前面にだして活き活きしだしてから
合わなくなってしまった
同じ屋根の下で生活を共にしたくない気持ちも想像はできる。
私はブログにこうやって吐露している暇があったら、一人で借りた部屋に定着して住むためにしなくてはならないことを考え、進めなくてはならない。
夫に今朝、
「あなたが○○(娘)のお父さんで良かったと本当に思ってる。ありがとう」と言ったら泣けてきてしまった。
夫は「俺はあなたがお母さんじゃなかったらと思うけど」と私に言った。
や、娘の半分は私だけどな?と思ったけど飲み込んだ。私の否定はつまり娘の存在の否定じゃないの?と。言わなかったけどね
そしてひとしきりお互い言いたいことを言い、
夫が何やかんやして仕事行く前にまたリビングにきてポツリと謝ってきた。「言い過ぎたことがあるなら申し訳ない」と。
夫を悪者にはしようと思わない。私が母親じゃなかったらと言われても敵視しようとも思わない。
親権は俺にあるから、裁判でも何でもすればいい。俺が勝つけど。
ここまで言われて、ねじ伏せようとか悔しいとか絶対負けないという気持ちにならなかった
エゴとエゴをぶつけ合って何になる、と。
夫は言った。半年前と同じ事を。
「その人と上手くいくならいけば良いと思ってるよ」と。
ありがとう。私も本当にそれは、心の奥からの本当の願いだよ、でも連絡もつかない。接点はお客さんとして私がお店行くことでしか持てない。これ以上どうすれば。
とりあえず彼がどういう風に私にまた関わってきてくれるかはわからないけど、
私は私で夫が望むように、家を出ないといけないからそれをしなくては、なんだ。
ブログの更新どうなるかちょっと読めない。