表題の件につきまして。

ある出来事があり感じることがあって。

私の中の直感さんが書いたほうが良いと導いてる気がするので書く。


今日は偉そうに講釈垂れ子でいきます

(ママ、出番です笑)



井の中の蛙(かわず)

という慣用句がある。

意味は、

 「小さな井戸の中にいる蛙は、大きな海などの井戸の外にある世界のことを知らない」と言う意味から、自分の狭い知識にとらわれてしまい、物事の大局的な判断ができないこと

です。


自分の感情を大切にするのは良いこと。

だけどそれは使い分けが必要。

対社会的な場合は。

大人と呼ばれる人間が、どれだけの人に迷惑と心配をかけるのかを想像できないのは、とても残念だし間違っている。


例えば、バックレるという行為。それを行動に移すことに、その人はある種の正当性を感じたのかもしれないけれど、

あなたの感情を大切にして社会や会社に迷惑をかけていいということは絶対にないー…と私はハッキリ思った。



それが発生したと知り本当に残念だった。

真面目で誠実だと思っていた人がそんな子どもじみたことをするなんて。詳しい歳は知らんけども。



私は久しぶりに誰かに対して引いた。


他のスタッフから漏れ聞いて、店長に「なんか大変だったんですね」というと、苦笑いとため息まじりの反応。


私はつい言葉にしてしまった。

「本当、子どもかって人ばっかですね」



そして、まず感じた。

世の中に出たことがないというのは、

結構なハンデだと。


いくらそこでの勤務経験が長くても、その場所だけで偉いだけ。イコールどこに行っても通じる人間ではないということ。

しかもアルバイトが任される仕事量なんて、たかが知れている。


その人はちょっと勘違いしてたんじゃないかな。


でもその人は1つ間違えたら私だったかも知れないと思った。


私はそこでのアルバイトでは仕事ができる人間と自負していたけど…派遣された就業先ではケチョンケチョンになり、根性叩き直され中だから、本当にたくさん感じることがある。



仕事が一通りできるようになると、自分が偉くなったような気分になるよね。男性なら尚更、横やりを入れられるのを気に食わない人は多いのではと思う。プライドが高いゆえに。



私が偉そうに言えることではないかもしれないけど、アルバイトで社会のすべてが分かった風になるのは大きな勘違いだし、不可能だよ。


厳しい言い方だけども、

しょせん、アルバイトはアルバイトだ。


その中で偉くなったとしても社会の風当たりを知ったことにはならない。


社員の仕事に就いた人が偉いんだとは決して言いたくないし、差別したりマウント取りたいわけでもない。


けれど


この世で自立して生きていく上で、収入を得ることは大切なこと。それを叶えていくためには


誰かに甘え、上司に甘えて、このくらいの仕事をしておけばいいという妥協や考えはナンセンスだと思う。その位の気持ちが許されてOKな仕事なら時給も比例して安いんだよね。



社員で働くと言うことは

社会的な責任を全うする

という考えが根底になければいけない。


至極当然のことだと思う。


社会人に求められるのは、自分で考え行動出来る人であって、

・一から十まで細かく指示がないから出来ませんでしたという人や

・あの人が気に入らないから顔を合わせたくないので腹立ってバックレましたという人

・あのお客さまに以前クレームをもらい嫌いなので接客したくありません


なんていう見当違いな自己主張をする人はハッキリ言って使いたくないと思う。


アルバイトだから、許容されること(バックレは許容不可だが)が社会に出たら通じない。



例えば新卒で勤めた会社を数ヶ月や一年未満でキツくて辞めましたって人はいわゆる、まだ全然マシ。

社会の風当たりがどんなものか少しでも経験しているから。


それが分からないまま歳を重ねていって苦労するのはその人自身。色んな人生があるから、一緒くたにして、社員で働いてみなさいとは思わないけれど、お金を得るということはどういうことなのかの想像をしてみてほしいと思う。


旦那も親もいつまでも生きていないよ。


苦労するのは自分自身だよ。

でも買ってでもした苦労は絶対にあとで役に立つ。私が今振り落とされそうになりながら必死でしがみつき仕事をやれているのは、社会的な責任を全うするという考え方を早いうちにたたき込まれたからだと思う。


書き足したくなった。

もちろん、マインドが他力本願から自力本願?へ変わらないままの私だったら今の会社早々に辞めてた。


専業主婦というブランクも相当手痛いと痛感中。


大人はいつまでも子どもではいられない。

親は先に死ぬし、周りと関わらずに生きていくことは不可能だから、今置かれている環境から飛び出す必要があるかもと感じている人は、同じ井戸の中で泳ぎつづける蛙🐸じゃなく、社会っていう大海に出てほしい。


大丈夫、痛みも伴うけど必ず良き方へ成長できるから。


そう感じるのでありました。