2024年3月。

この春で東京に出てきて20年経つ。


2004年3月の春分の日あたり。

私は上京し、東京で生活を始めた。


夜行バスで8時間ほど。

始めは母も帯同してくれたのだ。

 

東京に一人っきりー

特に早朝の池袋は何かと心配だったのだろうね。

(私の中で池袋=IWGP=池袋ウエストゲートパークという窪塚洋介主演のドラマのイメージで怖かった)


夜行バスの終着点、池袋から

当時借りた学生マンションのある、江戸川区の小岩まで電車を乗り継いだ。


朝の小岩駅。

早過ぎて引っ越しのトラックも着いていない。

北口にあるミスドが開いていたので

母と入った。


そこで時間をつぶし、引っ越しのトラックが来る予定の時間になってから学生マンションに移動した。


東京の専門学校に進路を決めるのも

送られてきたDMに載ってた学生マンションに転居先を決めるのも一人でだった。


ありがたいことに当時の父は

無関心ながら

お金はいくらでも出してくれた。

愛情表現は皆無だったけど、お金持ちだった実家には感謝しかない。

今はもうお金持ちじゃない😭



母は、学生寮にしなさいと言ってきたが、

私は電卓を叩いて、学生マンションの方が安いよ?新築なのに!

と押してしまった。


親となった今、私も母のように学生寮にしなさいって思う。母よ、いつも自分を押し通す娘でごめん😅っと。


上京した日のことは、

20年経っても覚えている。


特に母が岩手へ戻る別れ際とか。


母も離れるのが辛くてだろう

帰る日を1日延ばした。


母を小岩駅で見送って

自室へ帰宅したあの時の心境はいまでもよく覚えている。


「ーどうしよう。ついに一人だ…」

一人でここで生きてくんだ。

ワクワク!!!((o(^-^)o))


感じたことのない不安に襲われたかと思うと、

一人になったウキウキが次に襲ってきた。


もう夜遅くても何をしようが迎えを呼ばなくても良いし誰にも気を遣わなくて良いんだー!

私は東京に来たんだ!うぇーい!!


以下、興奮気味の当時の私。

車に15分乗せられて山を越えなくても駅まで行ける。コンビニ近っ!!!電車に乗って錦糸町まで行けばこんなに服屋が多いのおねがい岩手ならこの運賃でこんな都会には行けないって!

(私の地元の最寄り駅から一番都会である盛岡に出るまで片道640円くらい(当時)かかる)


てか、ラブホやたら多いけど😂😂なんなん笑(それ小岩の北側だけなw)


母がいるあいだに照明器具やカーテンをそろえに、わざわざ新宿のロフトや東急ハンズまで行った。

今でこそ、どこにでもニトリやらあるけど。ホント何も知らなくて。


新宿にも40分くらい?で行ける。

感動が止まらない。


新海誠監督の、君の名は。や天気の子の主人公が東京に降り立って(または入れ替わって)「東京やぁ…」って感動する描写、あれ本当によく分かる。


↓東京に住む瀧君と三葉が初めて入れ替わった日。三葉が初めて目にする東京

画像はこちらより拝借☝


実は上京しても、肌に合わなくて病んで地元に戻ってしまう子も一定数いる。


ただ私は違ってた。


上京して7年くらいはそんな気起こらなかったと思う。ブラック企業に勤めどんなに病もうが「地元に戻る」という選択肢は頭にもなかった。



私が東京に来たエネルギー、原動力は相当のものだったと思うし、本当に魂の今世での計画の1つだったんだなーって思う。


そう、上京して7年経って

2011年の3月、東日本大震災があって。

福島原発が爆発して。

そこで色々考えたよね。

まあ、その話はまた。



(今年でそれももう13年か。多分今年は仕事中で黙祷できないかも。出社だしなあ)


私が高3のとき、GLAYが出したBEAUTIFUL DREAMERと言う曲がある。A面がそれでB面がSTREET LIFEという曲だったんだけど、

その両方が、私のために書いた曲ですか?と言いたくなるくらい心境にピッタリだった。


専門学校の受験(推薦で受けたから面接だけ)で一人で東京に来たときはBEAUTIFUL DREAMERを携えて。


すごくこの2曲は私の支えになった。