昨日は、初めて現在の状況や心情をブログにて吐露した。


今回は、ツインレイと思われる彼・猫さんに出逢った既婚の私が、 どのようにして夫に理解してもらっていったかについて書く。


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近くにいるからといって、運命の人だからといって、磁石みたいに瞬時にくっつけるかというと全くそうではない。だって人間だもの(byみつを)


私と猫さんの間にあるいくつもの障壁。

障壁という言葉でひとくくりにしたくないほど、私にとっては大切な人たち。


猫さんと夫&娘、みんな大事。比較はできない。



夫に好きな人ができたと打ち明けたのは、今年の1月下旬だった。


年が明けて間もなくから、ただならぬ感覚が私を襲っていた。

夫に打ち明けなければいけないという、焦燥感が。


それは誤魔化しても打ち消しても、心の底から上がってくる。


そのうちに中学生の頃流行った歌が突然頭に浮かんできたので、YouTubeで聴き始めた。

The brilliant greenの「There will be there~愛のある場所~」だ。



一番目冒頭の歌詞
大きな曲がり角を曲がったなら走りだそう
戸惑うことはもうやめて
その先に何があるのかは分からないけどそう、強くあるために

うっわ、って思った。
そして二番目。

ここにある秘密に罪悪感を背負って生きていた
視界の外を見渡せば
まるで手すりさえもない真っ暗な闇の中にある階段を当てもなく降りていた

未来へつながる運命を信じる幸せな偶然に巡り会うと自分に言い聞かせて
嘘つきの糸を切ってそして真実と向き合う
勇気があるって信じたいyeah,  I believe”

なんだコレ、私に歌っているのでしょうか…と思うほど、ぴったりな歌詞過ぎて心の中で悶絶。

何かが私の背中を押しているようだった。

「行きなさい」と。
大丈夫、その先にちゃんと道が出来るからー。心の奥(=魂?)からそう励まされているような気がした。

そして何がきっかけだったかな、余り覚えていない。思い出せないけれど、夫に「好きな人ができた」と打ち明けた。

そこから、私の誕生日までの5ヶ月間は夫にとっても私にとっても苦しくて辛い時間が過ぎていった。

受け入れくれたのかなと勘違いするくらい、元通りに見えたときもあった。でもそれは子どもの為にしていた無理だった。

夫が情緒不安定になっていて、「誰のせいでこうなったんだよ」「すぐにでも出て行って欲しい」
「あなたのもの全部持って行って」と言われたこともあった。夫は悪くない。完全に私が悪い。何も言えなかった。

3月のある日曜日のこと、いつも律儀に行き先と帰る時間を告げて出かける夫がいつの間にかいなくなっていて、暗くなっても帰って来ず、LINEも既読にならず電話もつながらない。やっと帰ってきたと思ったら、雨が降っているのに傘も差さず濡れて帰ってきて、自室にこもって泣いているーということが一度あった。

さらに、初夏の頃。実はちゃんと眠れていなくて心療内科に通っているんだと言うこと、あまりに辛いときは薬を飲んでいると出勤前に打ち明けられた朝もあった。
私はその直後に、職場で猫さんに会った。彼に言えるはずもなく誰にも言えず辛かった。人目に触れなくて済む清掃中に泣きながらトイレ掃除した。あの日は本当に自分を責めた。

今思い出すとまた、辛いな。。

本当にね、「何で出逢ったのだろう、何故好きになったんだろう」と自分の運命を恨みたい気持ちになった。

でも、そんなどん底の中でもなぜか私は信じ続けることができた。

「きっと何か意味があって今この苦しみを味わうことも全部決めてきたんだよね。真摯に向き合わなくては」と。

そうやって気持ちの向け方が分かっていたお陰か、辛いことも長く続かなかった。

というか、仕事ではお客様相手にミスなくいつも通りの明るい接客をしなくてはとの思い、子どもの前でもいつも通りのお母さんでいなくちゃと気を張っていたのもあるだろう。
いつの間にか心の奥にある光に助けられている自分がいた。

猫さんを好きになったからといって、
家事を疎かにしたり、家族に嘘をついて自分の欲求ばかり満たす方へいきたい等という気持ちは最初からなかった。
(そもそもそこまで未熟だとツインレイに出逢っていないのか🤔)

さみしさを埋めるために好きになったんじゃない。そういう浅はかな色恋ならば最初から始まらせてもいない。

夫がありのままの私を受け入れると決めるまでの5ヶ月間、それまでどおり家庭生活の存続を一番に大切にした。

そして私の誕生日の朝に、奇跡とも呼べる出来事があった。

つづく