色とは
それに対して
私たちが自分の概念を投影する以前に在るものだ。
それは<ここに在るこの>の根源的な状態、
あらゆる状況に存在する
色鮮やかで生き生きとした本質、
ドラマティックで感動的な美しい本質のことだ。
色は枝から離れて
山間の谷川に舞い落ちる楓の葉でもよいし、
満月の光でもよい。
また道端の溝でもゴミの山でもよい。
これらは<あるがまま>のものだ。
そしてある意味でそれらはすべて同じだ。
すべてが色であり、
すべてが対象であり、
すべてがただ在るものだ。
それらに付け加えられる評価は、
後から私たちの心の中で創り出されるものにすぎない。
もし私たちが
真にありのままにそれらのものを見るならば、
それらはただ色なのだ。
そして「色は空なり」。
しかし、何の空なのだろう?
色は私たちの先入観の空であり、
判断の空だ。
私たちが谷川に舞い落ちて浮かぶ楓の葉を
ニューヨークのゴミだめに対立するものとして評価し、
分類しなくても、それらはただ在る。
あるがままだ。
そのもの自体は先入観を含んでいない。
まさにあるがままなのだ。
あたりまえのことだ。
ゴミはゴミ、楓の葉は楓の葉。
<在るもの>は<在るもの>。
私たちが
自分自身の個人的な解釈をさしはさまずにそれを見るならば
まさに色は空なりだ。
****「タントラへの道」 P243 チョギャム・トゥルンパ****