必修科目 | ゼロ意識共鳴・無・空を みつめて!

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人は関わりたいと思っても、
心のどこかにそれを避けたいという自分がいる。
そして、それには理由がある。
 
一つは、あなたが関わりを持ちたいと思うのは、
一人でいるのが寂しいからだ。
つまり、あなたにはそうするだけの必要性と欲望がある。
しかし、どんな関係にも、
問題、難題、課題、苦しみ、葛藤がつきまとう。
ゆえに、もう一方の心がこう言う、
「なぜわざわざ事を荒立てるのか」と。
そして、そのどちらも正しい。
 
一人でいる時、あなたは孤独で、惨めだ。
一人でいる時、あなたは人生の意味について考える。
というのも、詩が湧き起こるのは、
あなたが人と一緒にいる時だけだからだ。
人を愛する時、初めて人生は意味を帯びる。
愛のない人生は無意味に思える。

なぜ生き続けるのか? 
いったい何のために? 
誰のために?

一方では心がこう語る、
「誰かを愛しなさい。愛されなさい。
エネルギーを分かち合い、喜び祝いなさい」と。

そして、もう一つの心はこうささやく、
「気を付けなさい。どんな関係も、最後には問題になるのだから」と。
一人でいれば、何も問題はない。
た だ、あなたが問題なくらいだ。
それ以外に問題はない。
だが、相手を通してたくさんの問題がやってくる。
そして二人が一緒になれば問題は倍増する。

それゆえに、一方の心がこう言い続ける。
「気を付けなさい。わざわざ、面倒を起こさないことだ。
一人でいれば、少なくともお前は平穏でいられる。
たとえ幸せでなかったとしても、平穏は確保される。
人と交わったところで、幸せになれるかどうかはわからない。
一つだけ確かなことは、平穏が乱されるということだけだ!」
 
だから葛藤がある。
それはすべてのひとの中にある。
誰もが愛したいと思い。
その一方でそれを避けたいと思っている。
それを理解しなさい。
 
人と関わることを避ける人は成長できず、行き詰まってしまう。
なぜなら、人と関わるという課題は必修科目だからだ。
それは成長するための機会だ。
それらを問題と捉えてはいけない。

それらは課せられた仕事なのだ。
その宿題をすることだ。
宿題をせずして成長はない。
生まれてから、
何の問題にも遭遇したことのない人間のことを考えてみるといい。
いかなる心配にも、
苦しみにも、混乱にも出会ったことのない人間のことを。

そういう人は決して成熟することはない。
彼は幼稚なままだろう。
彼を支えるものは何もない。
ほんのちょっとしたことで倒れてしまうだろうし、
物事に立ち向かうだけの体力を全く持たないだろう。

問題、軋轢、怒り、憎しみ、嫉妬、支配、
その他ありとあらゆる事が人間関係を通して起こる。

それをすばらしい機会として利用することだ。
それは良いことなのだ!
 
いつの日か、誰も必要としない時がやってくるだろう。
独りだけで充分に幸せで、全く何の問題もない時が。
人間関係がもはや問題ではない時が。

だが今は、つまり若いうちは、
そういったものに飛び込んでいきなさい。

精神的な成長を得るために、ありとあらゆる難題を経験しなさい。
もしそうしなければ、どういう事が起こるだろう? 
人々は肉体的には大人だが、精神的には幼稚なままだ。
そういう人々があらゆるところにいる。
顔は五十才だが、ほんの少し表面を引っ掻くだけで、
十二歳の子供が顔をのぞかせる。
彼らの内面は愚かな子供にすぎない。
 
だから、どうするかを決めるのはあなた次第だ。
が、ともかく成長は困難を通してしか起こらない。
私はいつも困難に賛成だ。回避してはならない! 
困難な状況を見つけたなら、それを一つの挑戦と捉えなさい。
すべてを忘れ、その困難に飛び込んでいきなさい。

気難し屋を愛するのは最もすばらしい経験のひとつだ。
何の問題もない人間を探す必要はない。
そういう人は何の役にも立たないし、何も得るところはない。

最も気難しい人間を探しなさい。
そして、 瞑想しなさい。

OSHO :This is it より