親愛なるムージへ
ロンドンから戻ってきてから 私に起こっている事は、かなり奇妙です
以前の様に、何にでも争ったりはしなく
リラックスな状態で 何事も起こることを望みませんでした
ある時点に自分は 悟りを得たのかとも思いました
それは精神的な苦しみを 感じなかったからです。
自分自身にどうしてなのか問いました
それは自己同一視・個人的な識別が 無いからだと分かりました
とても強い自由なる感覚に捕らわれました。
でも恐ろしく感じました そこには道徳観も無いからです
どんな事でもやりかねません
いま、新しい計画や 緊急な欲求などは、もうありません
でも常に私をエゴ・自我の苦しみに 連れ戻すのは、身体的な痛みです
どうも肝臓の調子が悪いようです
頭痛、疲労や消化不良に 長年悩まされています
全ての検査はしましたが 何も深刻な問題は無いようです
でもこの辛い体の痛みを どうしても取り除きたく思いました。
この欲求が満たされないという 恐れと不安に至りました。
サットサンの後、私はヨガや瞑想そして 武道などを練習出来ませんでした
教えてきた、稽古ごとも なにか不自然に感じました
有益であったのにです
れらはナンセンスだと思います
なぜなら肉体とマインドへの自己同一視が ある限り、苦しみが起こるからです
私のエゴは叩き伏せられましたが 未だ生きてはいると感じます
そしてその根絶を欲します レオナルド
そうだレオナルド
おそらく沢山の人達が この様な証言に共感するだろう
そして観察にだ
なんの計画も持たないが
エゴの苦しみに 連れ戻すのは身体の痛みだと
君がこの先に言っていたのが
ある時点に精神的な苦痛を 感じなかったから自分は悟ったと思った
自分に何故、苦しまないのか問いただした
そして自己同一視が無いことが分かった
自己同一視が無いことで苦しみもない
痛みが在るかもしれないが そこに苦しみは無い
それらは異なるからだ
身体の痛みは、皆が感じる
でも苦悩は、それぞれの 態度によって決められる
君が痛みに自己同一視すると それはなんらかの苦しみとなる
何故、私に起こるんだ? 何が悪かったのか、どうしたらいいのか?
これらが苦しみを助長するんだ
とても強い自由なる感覚に捕らわれた 素晴らしい!
でも恐ろしく感じた何故なら そこに道徳観念すらなかったからだ
何でもやりかねないと
これがマインドにやってきたんだ 善悪もなく、好きなように出来るんだと
でも、この真実は未だ完全にハートの中で 焼きあがってはいないんだ
未だ驕りや、犯罪的な考えなどがある
もう善悪の区別もないんだ!と感じる
でもそれは未成熟なしるしなんだ
それよりも、沈黙を保つんだ
君がそれを感じ、察知するのは良いが ただ静かにしているんだ
君のハートを、私と共有するのは良いが 他の誰にも言わず
唯、静かにしているんだ
エゴの苦しみに引き戻されるのは 往々にして肉体の痛みが原因です
そして君は、その痛みのリストをあげている
肝臓の問題、頭痛や疲労な
君の瞑想的な意識、黙想的なマインドが今 力を持ち、花を咲かせようとしている時
おかしな事に、変わった現象が 痛みや疲労といった形で現れる事もある
それは、ある心的な解毒でもある
でも皆はそんな時 何故、痛みを感じるのか疑うんだ
自由であるのに何故だと
何にでも結論を出そうとする マインドの傾向に注意を向けるんだ
概念を固めたり、閉じるんではないんだ
自由な見解に留まり
何かを決定、批判したり 結論を出そうしないんだ
ただ静かにしているんだ
すべては大洋に湧き上がる、ただの気泡で 大洋には影響がない事を忘れないように
その泡をみて、意味をつけたり 何かをしなければと思ったりはしない
何故ならそれは、また更なる他の泡への 自己同一視としての接触だからだ
このケースに関しては、とても注意深くと いう言葉を君に伝えたい
唯、静かにして、しばらくは干渉しない
目玉だけで在り、他のものは消して 観察のみに留まるんだ、客観視と共に
これらの泡を出させてやるんだ 一度に沢山出てくるかもしれない
それが津波になるかもしれないが
大丈夫だ、それは君の 内なる動きに過ぎない
そして、その波を 意識的に経験して欲しい
それが最も激しく、極限にあっても
直ぐにパラシュートの紐を引かず
全て通過させてやり 君は沈黙なる観察に留まるんだ
これが君へのアドバイスだ
時には、君が傲慢にならない様 自然や神から痛みとしてつかわされる
例えば、私は悟ったと考え
もし痛みが来なければ、君は サットサンを指揮しはじめるかもしれない
人々の前に座っていても 君は未だ至ってはいない
その痛みが現実と此処に留めるんだ
そして君は徐々に煮込まれ もう少し深きへいける
静かにして、その中で とろ火で煮込むんだ
未だ火が、かかっていて 君は未だ料理中だ
個人であるという感覚は未だ火中にあり 途中でやめず、完全に燃やしてしまうんだ
さて何処から再開しようか。。。
そして君は全ての検査をしたが 何も深刻な問題は無かったと言っている
医者の所にいっても身体的に 一体何が問題なのかわからない
何か心的な問題が身体に表れている のかもしれないが、大丈夫
辛い身の痛みを除きたい強い思いが 願望や不安へと引き戻すのです
そう、それに唯、注意を払うんだ
スポーツ着や仕事着に着替えて 自分で何かしようとするのではなく
寝巻きのままで、静かにしているんだ
サットサンの後でヨガ、瞑想や武道の 練習が出来なかったと言うが、勿論だ
今はベッドに、ここ(ハート)に 留まっているんだ
自分にとって有益であるのに それらを教える事すら不自然に感じた
過去に君達は修練や 何かやるべき事を行ってきたが
でもある時、ヨーガや何か他の事でも もう出来なくなる時期がある
沢山の修練を持っていたが 今は、何かがそれに取って代わっている
これらから注意を離して
これより更に高次に行くんだ 今、他は全て置いてだ
そして君はマインドのある一面がそれらの 修練に未だ執着しているのに気がつく
でも、これは私の暮らしで皆が認識する 僕の個性だと言うかも知れないが
でも今はそれを置いておくんだ
何故なら君は私を呼び ここに来た、だから私とくるんだ
これはもっと高次な君の真実で 今、力を持ってきている
だから、他のすべては置いておくんだ
自分に利益があるのに 教える事に不自然を感じた
それを無意味にも感じる、何故なら
肉体やマインドへの自己同一視が 在る限り、苦しみに至るからだ
そう、君の叡智から やって来くるのに気がつくだろう
気をつかせる為に、マインドか、真我から やってくる2つの声に聞こえるかもしれない
その様な動きが未だあって 自分がやって来た事しか解からないと
そして今、ここに空虚があって 自分が何かわからない
だから我慢も出来ないし ここには何も無いと
でも新しい課題をつくらず 静かにするんだ、この声がやって来る
エゴは叩かれたが、未だ生きていると感じ それを根絶させて欲しいのです
エゴはみぞおちに一撃を食らったんだ
叩き伏せられたが、未だ生きていると
彼をを殺そうとはするな
そこに置いておき、相手にしない事だ
なぜなら彼は君によって生きている まさに寄生虫の様にだ
寄生虫は一人では生きれない 仲間が必要だ
君は彼を必要とはしなが 彼が生き長らえる為には君が必要だ
だから君は一人でいるんだ、すると自然に その悪夢は消えてしまうだろう
それだけだ
もしエゴを殺そうとすれば 他の殺人エゴを雇わなければならない
そして問題は深まり、時間をとられる
マインドは、うぬぼれや 幻想なる意図を通して時間を買うんだ
だから君は静かにしている そうするとそれ自身で根絶するだろう
私の応答を聞いたら 何度も繰り返す事ができる
何故なら、それは君の言っていることの 核心をダイレクトに指しているからだ
総じて一言では、静かにしていること マインドの提案に、こんがらされない様に
肉体に対する理解も、そんなに急がないで そもそも、一体誰が解釈しているのか
君が真我を思い出せば 君は瞬間にて真我となる
真我は何か行う領域ではないからだ
セルフ/真我を思い出せば真我となる また、それは同じことだ
君が真我であれば、それらは君の 足下にあり問題も起こさない
マインドの領域に行けば マインドが疑いを引き起こすだろう
本当に解かったのか?悟ったのか?と
そして疑いがやって来る
だから疑いを見て、疑うものも見れれば 疑いは生存することが出来ないんだ
そう、これはレオナルドからだ
レオナルド・ダ・ヴィンチは とてもクリエイティブだ
レオナルドはマインドで、とても創造的だ
でもレオナルド・忍者タートルになるんだ
彼は自己同一視も無く 唯、活動している、彼こそは無だ
素晴らしい
ありがとう
エゴを殺そうと欲すれば 他のエゴにさせなければならない