質問者 自然には調和があります。偶然には妨害があるのです。
マハラジ
あなたは時間と空間に限定され、身体とマインドの内容に引き下
げられた個人として語っている.
あなたが好むこと、それをあなたは「自然の」と呼び、あなたが
嫌いなこと、それを「偶然の」と呼ぶのだ。
質問者 私は自然のままの法則を守ること、予期したことが好き
で、法則を破り、無秩序で、予期できず、無意味なこと
を恐れるのです。偶然はつねに怪物のようなものです。
いわゆる「幸運な偶然」と呼ばれるものはあるかもしれ
ません。ですが、それらはただ偶然なことが起こりやす
い宇宙では、生活はありえないという法則を証明するだ
けです。
マハラジ
どうやら、誤解があるようだ。
「偶然の」とは既知の法則にあてはまらない何かを意味している。
私が、すべては偶然で原因がないと言うとき、ただそれによって
作用する法則や原因は、私たちの知識や想像を超えているという
意味なのだ。
もしあなたが秩序と調和ある予測可能なものを自然と呼ぶならば、
高次の法則にしたがい、高次の力によって動かされるものは「自
然発生的」と呼べるかもしれない。
このように、私たちは二つの自然の秩序をもっている。
個人的で予測可能なもの、そして非個人的、あるいは超個人的な
予測不可能なものだ。
それを低次の自然と高次の自然と呼んでもいい。
そして偶然という言葉は忘れてしまいなさい。
あなたが知識と洞察において成長するにつれ、低次と高次の間の
境界線の印象は薄らいでいく。
だが、それらがひとつとして見られるまでは、二つのままとどま
る。
なぜなら、事実、すべては実に驚くほど不可解だからだ!
『私は在る』(p245-246)