人は一日二十四時間、何の想念もなくとどまることができるのでしょうか?
私は瞑想なしでいるべきなのでしょうか?
マハルシ
「時間」とは何だろうか?
それはひとつの概念である。
あなたの質問のひとつひとつが想念によって引き起こされているのである。
いつであれ想念が起こったときは、その波にされわれてはならない。
あなたが真我を忘れると、身体に気づくようになる。
だが、あなたに真我を忘れることができるだろうか?
真我に在りながら、忘れることができるだろうか?
もしそうであれば、そこには忘れる自分と忘れられる自分の二人がいるはずである。
それは馬鹿げている。
それゆえ、真我は憂鬱ではなく、不完全でもない。
真我は永遠に幸福である。
その反対に、感情はただの想念にすぎない。
そして想念自体は力をもっていない。
想念から自由になりなさい。
なぜ瞑想をするのか?
真我として在れば、人はつねに実現の状態に在る。
ただ想念から自由になりなさい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あるがままにP309