『愛は自分の心に素直で

本音に愛を込めて伝える

コミュニケーションから育つもの』



傷ついて傷付けて、誤解し合ったり
対人関係の歪は、

自己を抑えてでも、相手の望みや期待に

合わせてあげないと

起きてしまうものなのでしょうか?


本当の自分を出す事は自分勝手であり


他者を思いやれない大人気ない愚か者で

不快な対人トラブルの引き金になると

恐れていませんか?


自己犠牲の気遣いは愛ではなく

自己保身からくる情けと、そして恐怖です


情けを

優しさや協調性のコミュニケーションだと思い込んでいる人間関係こそ実際は歪むのです


不協和音そのものでしかありません


それで

コミュニケーションを取っているつもりになっていたとしても


真実のコミュニケーション能力も愛も

全く育ちません


親切なコミュニケーションスキルというものを
自己犠牲をしながら、

周りの望みに合わせる協調性だと勘違いし

そこに焦点を合わせていると、

益々自己表現を抑え込むこととなり
お互いを心底理解し合い尊重し合う
本当のコミュニケーションができなくなります

『勘違いと思い込みの土俵』で空回りしながら

過剰なお節介になったり、エゴを増長させ合い

結局は自分も

周りの誰一人として幸せにすることができないのです



嫌われたくないという恐れのエゴがあると


本音を伝えることに何故か不安と罪悪感を

持ってしまいます。


自分の本音を伝えるという自己表現に

蓋をして、

愛されたいと相手に合わせますが


本音を素直に表せない方が

よほど

真実の愛と調和で互いを理解し活かし合う
心地良い愛で響き合うコミュニケーションの
幸せを体感することができないのです

本当の愛と調和
周囲への気遣いとは?

自他共に喜びで響き合っていることを
信じること

私の幸せが世界の幸せ
私の喜びは世界の喜び

私が目覚めれば、万物がアセンションする

自分が個性や能力を発揮することは

世界中の人々の個性も輝き能力も

開花されていく


お互いに補い合いサポートし合う

愛と幸福の連鎖


自他が愛と喜びで、いつも
共鳴し合っていることを信じること


だから自己を抑える込む必要はありません

本音を伝える事を恐れとしないでください


本音を伝える事は愛なのです


そして伝える言葉には

いつも愛を込めてくだ



気休めのその場しのぎの取り繕いが

優しさでも愛でもありません



本音を愛を込めて伝えるということは

伝えたい相手の神性を信じ


魂の成長への気付きを与えてあげるという
愛なのです


自分の本心を素直であり

相手の魂の成長と可能性を信じて、

愛を込めて伝えるという


心地良いコミュニケーションから

お互いをサポートしあえる

愛が芽生えます




✨愛と感謝と光を込めて✨