『ボヘミアン・ラプソディ』
『ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー』
『私は、マリア・カラス』
と
立て続けに
音楽映画をみて
思ったのは
あぁ、
だから監督をやりたがる人多いんだな
ということ。
同じ人物に光を当てて撮っても
監督次第で
ものすごく変わるんだなと
改めて思った![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
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『ボヘミアン・ラプソディ』は
一体となって楽しむ映画。
応援上映にピッタリだと思うし
それはある意味Queenらしい![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
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『ホイットニー』は
まわりの人たちへのインタビューということに
こだわった映画。
まわりの人たちが語るホイットニーでしかないので
それは彼女の一部でもあるかもしれないけれど
ホイットニーが実際に何を感じて
何を考えていたのかは映画からはわからない。
しかも
こだわったのがそこなので
せっかくのホイットニーの歌を
堪能することもできない。
そのこだわりが“ドキュメンタリー”なのかも
しれないけれど。
『私は、マリア・カラス』は
ホイットニーとは対照的に
彼女の歌をかなり楽しめる。
ただし、オペラにまったく興味がない人には
ちょっとわかりにくいかなと思う。
本人のインタビューを使っているので
『ホイットニー』よりは
マリア・カラス自身があらわれてるとは
思うけれど
これも彼女の一面なんだよなぁ。
光を当てる人のどこを
監督が一番見ているかによって
描かれる人物像が変わってしまうだろうなぁ
と思った![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
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どうせなら
特定の人について
いろんな監督が作った作品を
同時期に見比べられたら
面白いと思うんだけど。
いろんな撮り方をすることで
その人物のさまざまな面が
浮き彫りにされるだろうし。
観る方は楽しいと思うんだけど。。。
そんな企画ないのかしら![!?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/094.png)
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